皆さま、こんにちは。
石原政樹です。
現在、エクレルメルマガをお読み
くださっている多くの方が、
日常的に「とほかみえみため」を唱え、
本を薦めていただいていること、
非常に嬉しく思っています。
なかには、必要ないからと断られて
メゲているというお話があったり、
逆に渡した人から大変感謝されたりと、
様々な体験談をいただいています。
七沢先生が以前、
「自分のやってきたことは、
なかなか周囲に理解されず、孤独な時期も長かった。」
と仰っていたのを聞いた事があります。
先生のお若い頃というと
戦後アメリカ文化が一気に入って来て、
一方で共産主義も広まった時期なので、
古神道、言霊学という日本の伝統文化が
ことごとく否定されるような時代でした。
以前七沢先生と同じ年齢の元校長先生と
一時仕事でご一緒しましたが、
趣味は西洋スポーツ一辺倒、
「祓いなんて、宗教じゃないですか!」と
冷ややかに主張していたのを覚えています。
私からすると「はっ???」
という感じでしたが、世代的には
珍しくないのかもしれません。
時代の流れに迎合せず、
貴重な和の叡智を伝えて来られた七沢先生の道は
平坦ではなかった筈です。
私自身も、本質的な道を探究すると決めた時、
「自分のような生き方は一生、
世間から認められる事はないだろう」
「社会生活不適合者、変人として暮らし、
晩年は貧乏になるだろうから、
食べなくてもすむ技術を学ぼう(笑) 」
ということで、氣を食べる気功法など習い、
断食を重ねたりしたことは、
たまにセミナーでお話ししています。
丹田を鍛えるために抜刀術を習い、
職場に居合刀を背負って通勤したり、
(さすがに剥き身だとマズいので上州屋
の釣竿袋に入れてました)
禅寺にこもったり。
会社の忙しい時期に突然10日間の休暇
ですから周囲の摩擦も半端なく、
会社の後輩に「石原さんだけそんなに
長く休むのは納得できません」と言われ、
「今、ボクは禅寺に入らないとダメになる気がするんだ」
と一般的には理解不能な理由を述べたり。
前職では、自分のチームの部下と共に勤務時間より
1時間早く出勤し、精神的な自主研修をする中で、
七沢先生や大野さんの書籍についてもお話し
させていただいていましたが、
そのような世界を理解しない部下からは、
当初奇異な目で見られたものでした。
私が、道に関する話をした時に、
露骨に嫌な表情を浮かべていた部下の一人は、
数年後に「石原さんの言っている意味がやっと分りました」
と言い、今では良き理解者になってくれています。
本質的な道を追求すると決めてから、
周囲の評価と関係なく本当の価値観を追求してきた、
その結果として現在、七沢グループで和の叡智を
お伝えするという環境に導いていただいたと思います。
本質を追求するという事は、今の時代、
変人扱いされたり、
笑われ誤解されるということが起こります。
しかしわかる人はわかってくれます。
「笑われなければ道ではない」
ということです。
周囲が無理解でも、笑い飛ばして、
この大道を歩んでいきたいですね。