こんにちは、
「とほかみProject」プロジェクトチームの平井です。
エクレルにてコラムを執筆している講師陣の過去や、
netenグループとの出会いに迫る『インタビュー企画:大島さん』の後編です。
まだ、前編をご覧になっていない方はコチラからご覧ください。
後半となる今回は、大島さんと浅子さんとの出逢い、
そして今後の展望についてお伺いしています!
講師=大島さん
インタビュアー=平井
「ヒーリング」から商売をスタート
大島:そうですね。
30歳を超えてからですね、厳密に言うと。
ガテン系の仕事をしている頃、当時のパートナーがアル中で自律神経失調症だったんですよ。
それを何とか治したいということで、当時まだ日本でそんなに普及してなかったヒーリングを、パートナーを治したい一心で学んだんですよね。
そうしたら本当にびっくりするくらい良くなりまして。
でも、元気になった途端、他の男性と逃げてしまったんです。
もうそれは過去の話なので、どうでもいいんですが。
大島:それで一時期ガテン系の仕事をやりながら、学んだヒーリングを周りの人であるとか、ご縁のある方にやっていて。
そしたら、それが結構繁盛してきて、ガテン系の仕事を辞めても、ヒーリングだけで食えるようになってしまった時期がありましてね。
それの流れで色んな方からの悩みも集まってくるようになって、その後、健康食品のビジネスという流れになりますね。
平井:そのような経緯だったんですね。
大島:なので、ガテン系からいきなりというか。
でもこのヒーリングに関しては、そんなにお仕事という感覚は僕にはなくて。
ただ、もう忙しくて仕事ができなくなったんで、最初は無料でやっていたんです。
そこからさらに忙しくなってきたんで、「しょうがないけど、お金も頂戴できますか。仕事を続けられないので」という感じで、いつの間にか仕事になっていたという感じなんです。
平井:そんな過去があったとは。
やっぱり一番大きな経験だったのは、臨死体験なのでしょうか?
臨死体験で宇宙の本質を知る
大島:そうですね。
臨死体験はとにかく人が変わっちゃいましたよね、完全に。
ただ、そういう臨死体験も、偶然で起こったとは僕は思っていなくて。
それまでにも、子供の頃から「自分とは何だろう?」っていう問いがずっとあって、自分なりにずっと研究してきたわけですよね。
それで成果は出なかったけど、学ぶところはいっぱいあったと思うんです。
その最後の詰めというか、本当にどうしようもなくなって自分がもうこの世で生きていけないというぐらいになったときに、ドーンとやっと答えがきたんだなっていう。
全部1つの流れだなとは思っているんですけどね。
平井:なるほど。
その臨死体験を通して「自分とは何か」ということに気づいたということでしょうか。
大島:そうですね。
その「自分とは何か」を見ちゃったというか、知っちゃったというか。
世間で臨死体験って言うと「三途の川を見た」とか、「天使が迎えに来た」とか、そういうイメージが多いと思いますが、それらとはまた全く違う体験だったんですけれど。
一応呼び方がないから、「臨死体験」っていう言い方をしていますけれど、宇宙の本質を知った感覚です。
しかも幻想の世界と言いますかね、霊的階層の、いわゆる色んな幻想に引っかからなかったんですよ、僕はそのときね。
だから何の信仰も持ってなかったですし、意外と唯物主義者というか、見たもの・確かめたものしか信じないような質だったんで。
そういう三途の川とかに引っかかんないで本当に宇宙が始まる前の、クリアな状態にたまたま行けたんですよ。
平井:そうなんですね。
僕も小さい頃に高熱が出て、三途の川を見たことあるんですよ。
大島:そうなんですね。
平井:多分違う階層なんでしょうね。
宇宙とかは全然見えなかったですね。
大島:途の川が見えましたか。
いわゆる普通の死後の世界というやつですね。
それはそれで少しはと言うか、人生変わりましたか?
平井:本当に2歳、3歳くらいの頃で。
高熱で四十何度あって「とにかく、しんどい」みたいな思い出しかないんですよ。
残像がちょっと残っているかなという感じで、特に人生は変わったというのはありませんでしたね。
大島:そうですか。
逆に僕は、三途の川は見たことないんですよ。
瞑想教室で浅子さんと出逢う
平井:臨死体験のお話しも、とても興味深かったです。
話は変わりますが、浅子さんとの出会いもお伺いできますか?
瞑想教室で初めて出会われたと聞きましたが。
大島:分かりました。
その頃は前回も言いましたが、みんなが自分と同じような世界の本質を知ったり、体験する方法が何かないかなと思って色々探していたときに、とりあえず話題のメソッドや方法論を片っ端から色々学びに行っていた時期があったんです。
その1つにその瞑想教室があって、多分3ヵ月くらいは通ったと思いますが、そこに浅子さんがいらっしゃったんです。
そういうご縁ですね。
その後、僕が完全に白川のスタッフになっていて、祝殿講習のときに、「どこかで見た顔がいるな」と。
お互い、「あれ?」って言って、「あそこの瞑想教室にいたんじゃないの?」という感じで声をかけたのが再会ですかね。
また全然毛色の違う瞑想教室だったんで、僕からすると「何でここにいるの?」みたいな感じでした。
その瞑想教室はインド系で、「和の叡智」というのとは、また全然違う毛色だったので。
平井:浅子さんから聞いたのが、「瞑想教室で会ったときと、ご修行で会ったときの大島さんが全く別人みたいだった」と。
さらに「この和の叡智って何なの?」ということにすごく興味を持ったと言っていました。
大島:本当ですか。
そうだったんですか。
平井:浅子さん自身もずっと、中学生ぐらいから瞑想されていたみたいです。
ですが、「この先にも何かあるんじゃないか?」ということで、この白川の教えに出会い、大島さんのその変わり具合を見て「確信に変わった」ということを仰っていました。
大島:そうなんですね。
僕的にはね、正直、何て言うのかな、自分の体験はあるんだけど、世の中に出ている文献では、スピリチュアルな本も含めて、全く共通のものがなかったんですよ。
あったとしても、本当に一部ですよ。
インドのごく一部の本当に経典のようなものの中に、似たような体験が出てきたり、インドの本当に一部の聖者の人の書いた本の中に似たような体験があって。
「これ自分だけじゃないんだな」くらいの確証はあったんだけど、あまりにも日本とかアメリカとかあの辺りのスピリチュアル界、瞑想界と相容れないものだったんです。
なので、自分の居場所のなさって言うのをすごく感じていたんですよね。
研究所にはすべてがあったー
大島:なので、「みんな、こんなまがい物とまでは言いませんが、全然本質的ではないことを言っているのに、なんで人気があるんだろう?」という感じがすごくあって、「何か、こういう界隈に自分の居場所がないぞ」という気持ちがずっとあったんです。
でも、研究所に来たときに、「うわーってここは全部あるぞ」っていうのが、初めて本当に確信したんです。
それで、居場所を見つけたなっていう感じなんですよ。
それが大きいんですよね。
平井:なるほど。
詳しくありがとうございます。
大島:それで実際に、それがテクノロジーでできるというのが、もうとにかく凄いところで。
変に臨死体験とか危険な橋を渡らなくても、ロゴストロンの周波数を浴びて、当たり前の「祓い・鎮魂・言霊」っていうのを使っていれば、たどり着ける所があると。
そうじゃないと、普通の人は間に合わないということを自分の中で感じていて。
つまり、一部のラッキーな人であるとか、一部の天才、努力家が長年修行してやっと掴めるか、掴めないかっていうものは、尊いようだけど実は役に立たないんですよ、ほとんどの人にとっては。
平井:確かにそうですね。
大島:だから、現に2600年前にお釈迦さんが悟って、その後多くの人がついていったわけですけれど、お釈迦さんの境地を掴めた人ってほとんどいないわけじゃないですか。
というのは、逆に言うと機能してないわけですから、それでは世界を救えないわけですよ。
ここにはそれをできるだけの、もちろん古来から伝わる叡智もあれば、最新のテクノロジーもあって。
その両方があるっていうことで、すごい希望を見ましたね、僕は。
平井:なるほど。
その中で2020年から本格的に「とほかみプロジェクト」が始まってきて、10ヵ月くらい経ちましたが、これからはどういう展望で、大島さん自身「エクレル」や「みえます」、「とほかみえみため」を広げていきたいとか、コミュニティをどういうふうにしていきたいということをお聞かせいただけますか?
血縁を取り戻すとか負のエネルギーというキーワードも出て来ていますが、それも踏まえて今後の展望をお聞かせいただけると嬉しいです。
血縁を取り戻し、真の家族へ
大島:そうですね。
本当の家族の関係というか、本当に血縁を取り戻すってさっき書きましたけど。
「血縁を超えた家族」ってよく言いますけれど、いわゆる自分の家庭であるとか、あるいは家族とその他っていう、そういう垣根を超えて、僕にとって家族っていうのは「困ったらいつでも言ってくれよ」っていう、「俺できることやるぜ」っていう人達の集まりだと思っているんですよね。
それを家族というくくりの、単に一族っていう血筋というのではなくて、「身の回りにいる人全員」「同じ志を持つ人全員」と思えるような、そういうコミュニティにしたいですね。
そもそもが血縁を超えるとか言いながら、「実は遡ってくとみんな血縁なんだ」いうところがあって。
だから、「とほかみえみため」を通じて、しっかりと先祖と繋がっていくに従って、「先祖を遡っていくとみんな血縁で、みんな遠津御祖神一緒じゃん」という世界に段々気づいていくはずなんですよね。
大島:なので、「超える」というか「取り戻す」っていうことが本当にできてくると、先ほど言った相互扶助って言って、とにかく困った人いたら周りで助ける。
かといってそこに依存し合う関係ではなくて、1人1人がきちんと自立して、しかも束縛しあわないというか。
「自立と束縛しない自由」というのはすごく大事だと思っているんです。
ほとんどのコミュニティって「俺等の言うことを聞いたら仲間入れてやるぜ」みたいな、ちょっと偉そうなコミュニティが多いんですけれど。
そうではなくって、お互い自由と自立っていうのは尊重しながら、それでも1人1人がこのコミュニティに何かあったら、あるいはこのコミュニティの一員に何かがあったら、「もう俺が何とかしてやる」みたいな、そういう腹を括っている人の集まりを本当に作っていきたいと思っておりまして。
それができる技術であるとか叡智っていうのはここにもう既にあるので、後はそれをどうやって出していくとか、どうやって組み立てていくかの問題なんです。
なので、それは「みえます」とか「エクレル」を通してそっちの方で、どんどん設計していって具体化していければなと思っていますね。
平井:ありがとうございます。
最後に、読者の皆さんに何かメッセージはありますでしょうか?
大島:とにかく皆さんと共に、先程言ったようなコミュニティを作っていきたいという、僕の今の一番の意志なので、末永くお願いします。
ここまでお読みいただいてありがとうございました。
平井:前回、元々はガテン系の仕事からビジネスを始めたとお伺いしました。
実際に、ビジネスは何歳くらいから始められたのでしょうか?
30歳を超えたくらいでしょうか?