好評をいただいているエクレル講師陣による座談会の第11弾をお届けします。
今回も大島さん、石原さん、阿蘇さんの3名で、
「とほかみプロジェクト」の1年について振り返りながらお話しいただきました。
阿蘇:こんにちは。
石原:こんにちは。
大島:今回も大好評の講師座談会をお届けします。
「とほかみプロジェクト」が始まってから1年が経ちましたので、皆でその振り返りなどをしていきたいと思います。
昨年の1月に大野さんの『とほかみえみため 〜神につながる究極のことだま〜』の著作が発表されたのとほぼ同時に、このエクレルが始まりました。
そして、春頃に「みえます」が始まりました。
1年過ぎてみて、皆さんの印象に残った出来事をお聞きしていきたいなと思います。
石原さん、この1年はいかがでしたか。
石原:この「とほかみえみため」という古代からの日本の叡智を、オンラインという現代のツールで世間に公開できた、ということが感慨深いですね。
また、それに伴って、この分野に初めて縁を持たれた方々にもたくさんお会いすることができて、確実にこの和の叡智が広がった1年だったなと実感しております。
大島:阿蘇さん、いかがでしたでしょうか。
阿蘇:最初、エクレルで、「とほかみえみため」に関しての話題で記事を書くとなって、大体5回くらいでネタが切れるんじゃない?って思っていたんです。
しかし、書いてみると様々な事が繋がり話題が尽きなくて。
当初は体験談の記事はありませんでしたが、素晴らしい体験談がどんどんコメントで入ってきて、体験談を紹介する記事も増えましたね。
ですので、多分、僕だけだったら5回くらいで終わっていたかもしれませんが、皆さんのおかげで、ここまで続けてこられました。
そのことに、まず感謝申し上げます。
大島:「とほかみえみため」は、ご先祖さまとつながるという面が非常に大きいと思います。
この活動が始まって、「とほかみえみため」を唱え出した方から、ご先祖の手紙が見つかったとか、ご先祖さま絡みのお話がかなり増えてきましたよね。
なので、そういう声を実際に聞かせていただいているだけで、「やはりこの言葉すごいな」って感じました。
石原さんは、「とほかみえみため」を唱えていて、先祖とつながったなという感覚がある体験談はありますか?
石原:何回かエクレルの記事でも触れていますが、やはり父が亡くなった後のことでしょうか。
父を「とほかみえみため」で見送らせていただいた後に、遺品を整理していると、急に祖父がずっと作っていた一族の歴史みたいなものが出てきたんですよね。
あと、私の家系的な流れについて、七沢先生にお話しした時に、「こうである」と言われたことがありました。
でもそれは、今まで実証がなかったことだったんですね。
ただ、遺品を整理しているときに、亡くなった僧侶のおじからの父宛の手紙が急に出てきて、「われわれの一族は、もともとこういう一族の末裔である」という書面があって、それが七沢先生のおっしゃっていたこととぴったり一致したっていうことがあったんです。
それは本当に驚きましたね。
大島:それは、すごいですね。
そんなことがあったんですね。
阿蘇さんは、ご先祖とのつながりなど、何か印象的なことありますか。
阿蘇:私もエクレルの記事で書かせていただいたことですが、「共食」をしています。
ビールや食事を並べながら、「ご先祖さまと一緒に食事をする」ということをたまにやっているんですね。
「とほかみえみため」は、ご先祖さまが自分に対して、「えみため」=「微笑んでください」っていう方向も、当然あります。
一方で、逆の視点と言いますか、自分が、ご先祖さまが喜んでくれているような生き方しているかなって考えられるようになりました。
それは、物事を判断するときに「こういう行動をしてご先祖さまは喜ぶかな」と考えるということですね。
そういうところで、自分の判断や行動が変わっていったように感じています。
大島:阿蘇さんのご先祖さまは、すごいんですよね。
阿蘇:この間、大野さんがたまたま見つけてきたYouTubeのビデオがありました。
私の先祖は柔道家だったので、それを小説に書いていただいた方がYouTubeのチャンネルをやっていたんですよね。
そのシリーズを見ていくと、私がその小説家の方にお礼として渡した形見の金歯を題材に、動画を上げてくれていたんです。
大島:すごいですね。
阿蘇さんが先ほど「ご先祖さまが見てどうかな」というお話しをされていましたけど、豪傑な方でしょうから、生半可な生き方していると投げられそうですね。
阿蘇:そうですね。
いつも投げられてしまっているかもしれません。
大島:いやいや、そんなことはないでしょうけどね。
これもエクレルに書かせていただいたんですけれど、私の母親は、本当に急に、自死という形で亡くなってしまったので、これまで母親を思い浮かべるときに、心配している顔とか悲しい顔とか、そういうのがいつも浮かんできたんですよね。
ところが、「とほかみえみため」を唱えるようになってからある日、満面の笑顔の母親が瞼の裏にパーッと現れてくれまして。
僕自身も、母が生きているうちに「こうしてあげれば良かった、ああしてあげれば良かった」って、すごい後悔があったんですけど、その瞬間にすべてそういう思いは吹き飛んだんですよね。
だから、それは僕にとっても本当に救いでしたし、母親もものすごく喜んでくれたのかなって感じまして、本当にありがたかったですね。
阿蘇:体験談でも、今、大島さんがおっしゃったような、ご先祖さまと今までなかなか通じなかったのが、「とほかみえみため」を唱えるようになって、微笑んでくれているようだとか、写真が微笑んでいるように変わったとか、そのような体験談もすごく多いですよね。
石原:そのようなお声もありましたね。
大島:多かったですよね、本当にそういうお声をいただくと、それだけでも、やってて良かったなって心から思いますね。
石原:これまでいただいた体験談を集約したフォームがあります。
そこで「ご先祖」というキーワードで検索すると、皆さんのご先祖さまに関するお話しが山のようにたくさん出てくるんです。
特に劇的な体験じゃなくても、さっき阿蘇さん言われたように、「ご先祖さまが喜んでくださっている感じがする」とか、「ご先祖さまとすごくつながっている感じがする」というような体験だけでもすごく貴重だなって感じます。
大島:その感じっていうのが、実は本当はそのものずばりなことが起こっているんですよね。
本当はね。
どうしても、バッとご先祖さまのビジョンが現れるとか、派手な体験を期待してしまう方もいらっしゃるかもしれないんですけど、そこで「安心できている」っていう思いが、しっかりと自分に届いているっていう事実。そういう思いが自分の中で起こったっていう事実は、これ、紛れもない出来事なんです。
実は、そういうことを大事にしていると、本当に精緻な世界に気付いていけるんですよね。
ですから、「そういうことに気付ける自分になれた」っていうことが本当は素晴らしいことでもあったりするので、本当に些細なことを見逃さないでほしいです。
そういう感性を大切にしていただきたいなと思います。
本当に「とほかみえみため」の体験談は、語るとエンドレスになってしまいますが、今日はここまでとさせていただきます。
また次回では、この1年でいただいた「ご縁」について話していこうと思います。
大島:皆さん、こんにちは。