皆さんこんにちは、内海昭徳です。
最近子育てをしている中で、
自分がこのくらいの
小さい年齢の時は
両親はどんな気持ちで
育ててくれていたのだろうと
ふと思いを馳せることがあります。
私の父は80歳を超えても
毎夏プールで毎日泳ぐくらいに
元氣なのですが
母は私が大学1年生の時に
病気で亡くなっていますので
残念ながら、直接会って
自分が子供の頃のことを
聞く事は、どうしてもできません。
私はこの世代にはかなり珍しく
八人兄弟なので
(ちなみに五男三女の三男です。)
日々子育てに明け暮れ、
結婚して以後の人生が
子育ての連続だった母の気持ちは
一体どんなものだったのだろうと
ちょうど今、子育てに一番
手がかかる時期だから尚更、
色々と想いが広がります。
親子関係は人によって
本当に様々ですので
両親との関係が良い人もいれば
悪い人もいると思います。
良い、悪いという二元的な
意識の階層を抜けて
俯瞰してみれば
どんな関係性からも
学び、気づきや成長の種は
あると思いますが
絶対的に共通していることは
生みの親があって
今ここに自分が存在していることですね。
当たり前すぎるほど
当たり前の話ではありますが
しかし、よくよく考えれば
奇跡を超えた奇跡とも言えるほど
人智を超えた生命意志の連なりの神秘です。
生命を育む十月十日(とつきとおか)の時を経て
生みの苦しみを通過してくれた母の意志があり
この世に生を受けたその時、
泣いている自分を
温かく抱擁してくれた
父と母の笑顔といつくしみがあったことは
どんな人であっても
おそらく変わらない
人生の出発点の景色だと思います。
そして、そうした生命の繋がりは
ほんの一瞬一秒も途切れることなく
幾世代、幾世代も
遥か永きにわたって息づいています。
生みの親の、生みの親。
そのまた生みの親の、生みの親…。
遠く遠く、生命創造、宇宙創造の源まで
遡る、自分という存在の出発の時。
そこから、生命意志の全ての歩みが
今この瞬間の自分の中に
全て折り畳まれているからこそ
こうして存在し
発することのできる、
一つの呼吸、一つの音。
とほかみえみため
その静かな響きの中に改めて、
生みの親への深い深い感謝を思うのです。