神示を得る記号としての「とほかみえみため」

内容


こんにちは、
阿蘇安彦です。

先週の記事では、
「ふと思うは神心」というテーマで、
七沢先生のお話を要約させていただきました。

その後、多くのコメントや、
体験談も寄せられました。

ありがとうございます!

以下、印象深いコメントを
いくつかを共有させていただきます。

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アメリカからです。皆様のコメントから、日本のみならず、世界各所から「とほかみえみため」を唱える仲間がたくさんいることを確認でき、非常に心強く感じています。子供たちとは、毎日「とほかみえみため」を唱えてきましたが、今回のコロナウィルスの緊急事態に直面して、ついにアメリカ人の主人にも紹介!事業をしている主人は、目まぐるしく変わる状況対応に追われ疲弊して、もうこうなったら、なんでもあれのやけくそ状態であった部分もありますが、、、、なんと、すんなり受け止めてくれました!その時に主人には、疫病、飢饉、戦争を経験したご先祖様たちが生き延びてくれたおかげで私達が存在しているんだよねと話したら、全くその通りだねと素直に話を聞いてくれ、家族全員で輪になって手を結び、「とほかみえみため」を唱えました。その後、子どもたちはお父さんもついに参加したぞ!でも日本語の発音は僕たちのほうが上手だから聞いて!と自慢げに、 踊りながら「とほかみ」、ロック調で「とほかみ」、オペラ調で「とほかみ」等々のオンパレード。家族全員すごくストレスが溜まっていたところ、無邪気な子供たちのおかげで大爆笑して緊張がほぐれました。これからも一音一音を大事に、家族で唱えていきたいと思います。

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遠津御祖神(とおつみおやのかみ)、えみため
ああ・・・なんという事でしょう。
本当にご先祖様方がお喜びくださっている!
そんな出来事が超高速で参りました。
娘の結婚、そして娘夫婦との同居。
3月23日にコロナに追われるように、北欧の留学から帰ってきた娘、そして同じく
北欧の別の国から帰ってきた娘の彼。
娘の部屋で同居したいなら、結婚してからね・・・と私がいうと、
では結婚します。という即答で、
それには末期がんのおばあちゃんも大喜び。
4月10日に奈良で結婚式をすることになりました。
コロナで世界中が大変な中、多くの皆様に見守られることは
できないのかもしれませんが、二人が幸せならそれでいいかと
思いました。
逆境も転じる力、すべては、とほかみえみための流れの中で・・・・

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七沢先生の「さらに長い間を遡って・・・創造の結果、こうしてこの私として生きております、どうぞ私をご覧になってください、と。」というお話のところに、思わず涙が出てしまいました。
自分とは、他の命に生かされているものであるとは常日頃思っておりますが、創造の結果の今の私という新たな認識に襟が正される気持ちになりました。こういう深い意味があったのですね。ありがとうございます。

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なんか、静かな感動を覚えました。
七沢先生の、透明な心が伝わった気がしました。
ありがとうございました。

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素晴らしいですね!

素晴らしいといえば
先週の「とほかみカンファレンス」でも
私は静かな感動を覚えました。

画像は、「初音ミク」が「とほかみえみため」の
「と」を唱えているところです。

そこで、
今回は「とほかみカンファレンス」での
七沢先生のお話(約1万文字)を
1500文字程度にまとめてみました。

いつものコラムより長くなりますが、
空気感も含めて味わっていただきたいと思います。

お時間のない方は、
週末にでもお読みいただければ幸いです。

〜〜〜〜ここから〜〜〜〜

本当にもう次から次へと
事が起こってくるわけで、
東京を封鎖してしまおう、
という話にもなってきましてですね。

それは要するに、
不安が恐怖、恐怖が恐慌という
段階を経て、感情情報が
一気に広がっているといいますか。

ウイルス情報が、
人間の不安、恐怖、恐慌という
感情のエネルギーを使って、
ウイルスを発生させることも
出来るんですね。

その対極にある平安晴明の、
1万5千年あまりの長い
持続可能社会ができた
縄文の歴史があるのは、
古神道の教えでもあると思います。

とほかみの最初の集会で、
皆さんにお伝えしたいなと思った時に、
記憶に蘇ったのは、鹿の肩甲骨の
「とほかみえみため」の図像でした。

今回の大嘗祭で
アオウミガメの甲羅を用いて
悠紀田、主基田の候補地を
決めるための
占(せん)をしましたけれども。

これを亀卜(きぼく)
という風にいいます。

アオウミガメというのは、
なかなか取れない
希少な訳ですね。

それで、鹿骨(ろくぼく)という、
鹿の肩甲骨を使うようになりました。

実際に、鹿の肩甲骨を、
炙(あぶ)るんですけども、
その時に、実は
「とほかみえみため」
の印を彫り込んだものを炙って
神の神示を受けるんですね。

これはまさしく
一種の記号ですよね。

人間の問いに対して、
神がお答えになる、
その時の図形というんですかね。

その結果はほとんど正確に、
出てくると言われているんですね。

基本的には
白川は高等神事をする神祇官で、
正確に国の行末を
神から聞くという神事が、
大切な役割でした。

その元にあるものが
「とほかみえみため」です。

天皇陛下はですね、
賢所(けんしょ、かしこどころ)で
最後は40回「とほかみえみため」
を唱えると。

天皇陛下と皇后陛下には、
祝詞がないんですね、
ただ「とほかみえみため」のみです。

その「とほかみえみため」で
神の意向を
聞かれていたんじゃないのかな、
と思います。

それは占いではないので、
100%正確に出るというかですね。

ですから、
必ず我々の祓いには
最初に「とほかみえみため」で、
八方を結界するという方法と同時に、
その中に真実の言葉が
現れるというような
意味もあるわけです。

それで今回、
みなさんが生活の中で必要であれば、
神示を得る方法として
40回「とほかみえみため」を
唱えていただきたい。

40回も自然に口から出ていくと、
それは無心といいますか、
純粋な状態にすぐになれるわけです。

その時に、「ふと思うは神心」で
神示を聞くことが出来る
ということなんですね。

やはり、この時代のデジタルも
十分に活用して頂くと良いでしょう。

今回、皆様方と一緒に奏上したのは、
初音ミクのボーカロイドでも
一番純粋な神の世界を
お迎えできるような境地に立つ
ことが可能なんだ、
という意味ですね。

肝心なところは、
人の感情というものに、
左右されず、淡々と表現できることが、
人が神に近づく大事な要素ではないかなと。

やはり、簡素化するということは
一方で役に立つというかですね。

それこそ、災害の時に、
自分や家族の身を守るためにも、
瞬間に決定しないといけないことは
沢山出てくると思います。

また、国に頼れないときに、
相互扶助の集団としての理想が、
無尽講、伊勢講、富士講、えびす講
という「講」の中にある
のではないのかなと。

今、山梨県が
健康長寿の日本一
と言われていますけれども、
その理由は、「講」が
影響していると言われています。

今後、客観性のある「講」に
繋がっていけば、
これからの社会に
役立つ方法でもあるということも
感じております。

その中で「とほかみえみため」が、
自己を守る結界でもあるし、
神の神示を頂くという言葉であり、
そういう祈りが可能ならば、
人生が楽観主義で行けるところですね。

その「とほかみえみため」
の世界を掴んでいただくと
良いのではないのかなと、
お話をさせていただきました。

今後も「とほかみプロジェクト」を
よろしくお願いいたします。
今日は本当にありがとうございました。

〜〜〜〜ここまで〜〜〜〜

縄文時代から伝わる、
神とのコミュニケーションの言葉(記号)
「とほかみえみため」

神とのコミュニケーションを縦軸すると、
横軸は、人とのコミュニケーションといえます。

「神と人」「人と人」「人とデジタル」
のコミュニケーションを
新しい時代の「講」として、
共に歩んでいきましょう。

それでは良い週末を
お過ごしください。

阿蘇 安彦

ABOUT US

neten株式会社研究員

空手の指導員、フィットネスインストラクター、貿易業、フラワーエッセンスの輸入販売、生体情報測定機器及び水の研究・開発・販売などを経て、七沢研究所へ。
「生命(イノチ)の可能性を最大限に発揮させる」をテーマに、「水とエネルギー」の研究及びに、「祓い・鎮魂・言霊」の普及活動を行っている。

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34 件のコメント

  • とほかみえみため 毎日唱えています。
    般若心経や延命十句観音経やその他、いろいろな言葉に出会ってきました。今回、ご縁をいただいて「とほかみえみため」につながることができました。
    こころがしん、と静まって ああ わたしは大丈夫、そんな気持ちになります。
    わたし だけではなくて、あなたも この世界もきっと大丈夫 そんな気持ちになるのです。

    以前、何とも不思議な感覚に襲われたことがあります。
    襲われた、というとよろしくない感じですが、そうではなく、何かにつかまった、というかキャッチされた、というか。
    「わたしは世界につながっている、この世界にわたしは責任がある、なぜなら私は世界だから」というといいのかな?そんな感覚に満たされたのです。
    その時のことは今でもはっきりと覚えています。でも、その感覚が何を意味しているのか、今一つ具体的にはわかりませんでした。
    「何人も一島嶼にあらず 何人もみずからにして全きはなし」という詩の一説が思い浮かび、きっとこれなんだろうなと思ったりもしました。
    それから30年、忙しさにかまけて深く考えることもなく、ただ、その深くしびれるような心地よい感覚だけは覚えていました。
    30年の間にはいろいろなことがあるものですが、「とほかみえみため」にめぐりあえるための30年だったと思います。
    初音ミクさんの音源もその他の音源も毎晩楽しくわくわくしながら聴いています。
    みなさんに、世界に、わたしたちに幸多きことを毎晩祈っています。

  • とほかみエクレルを読んでいるだけでも、カンファレンスの会場の雰囲気が伝わってくるようで、感動しています。
    散り散りになった私から、一つである私、を意識する様になり、焦点を当て始めたところでした。
    七沢先生の「ふと思うは神ごころ」
    そして「とほかみえみため」は
    まさに、私にとってその感覚を明確に説明してくれるものです。
    唱えていると、私でありながら、たくさんの味方を得たような?そんな感覚を覚えます^ ^

  • こうして、「とほかみえみため」を繰り返すたび、それが数千年前に大都市から砂漠の荒野にアブラハムを導いた宇宙万物の創造主なる神と同一たる神さまとの出会いを感じるのは私だけでしょうか?