こんにちは、内海昭徳です。
今日は、私の好きな荘子の言葉を一つ、ご紹介します。
万物斉同を説いた荘子は、死生観について、
「死生一条」という概念を残しました。
死と生はひとつである、ということですね。
私たちは普段、肉体生命の時間を
生きていると認識していて、
これが失われるときを、死、と捉えています。
死には、たくさんの情念が付きまといますね。
離別の悲哀、今生への未練
現象への執着や愛着
死の間際、そして未知なる死後の世界への恐れなど。
たとえば感染への恐怖も、
つまるところは死の恐怖に対する
無自覚的な表層意識の一部でしょう。
もちろん私も、
大切な人や仲間、家族が病苦で死ぬのは
イヤだと感じます。
死ぬときに苦しいのとか痛いのは
イヤだなあ、と思ってますし、
人の生命が絶たれていく様を観じれば、
悲痛な思いも湧きます。
虚無的な死生観に陥らない為にも、
「生」の豊穣と感謝に対する感性の深化はとても大事だと思います。
一方、本質的に観れば、
人生とは死亡率100%の物語なのですから
死の恐怖に惑い、怯えて生きるよりは、
死というさだめをまるっと
飲み込んでしまった方が、いっそ楽な感じがします。
メメント・モリ(死を想え)という
有名な言葉がありますが
あれも原義は、
「今を楽しめ」ということだそうですね。
古神道では、4次元現象世界での「今」を突き抜けた先に
「中今」という概念がありますが、
ここはまさしく、死と生とがひとつになったところであり、
同時に、死も生もない境涯と言えます。
先祖と繋がり、万象の根源に至る
「とほかみえみため」の言霊は
死につきまとうあらゆる情念を祓い清め、
平らかで安らかな心境で中今を生きるための業、とも言えるでしょう。
といっても一足飛びにそんな境涯を得ずとても、
例えば、
朝に、今日が人生最後の1日だと感謝して朝日を浴び、
夜に、今日の1日と今生に感謝して床に入る。
1日1日に、ひとつひとつの出来事に、あらゆる瞬間の世界に、
天地万物の恩寵がはたらいている。
そして、今を生きる自分と、
すでに死を通過した遠津御祖神
つまり生者と死者とが
「とほかみえみため」という一条の言霊によって結ばれている。
そんなことも観じながら、静かに心を整えてみれば、
こんな時勢だからこその意識深化ということに、
きっと繋がっていくのではないでしょうか。