皆さん、こんにちは。
内海昭徳です。
日々報道されている通り
ネガティブ要因が絶えない、経済活動のこれから。
戦後最大の国難
とも言われ
人生の見通しが立たず
不安心理が広がりそうな世相の中、
私ごとながらふと、
戦後の時代を生きた
自分のご先祖様に思いを馳せました。
私の父方の祖父は
宮城の出生なのですが
水産行政に携わっていたこともあり
戦前、台湾の開発のため
若くして台湾の地に渡りました。
そのまま敗戦までずっと
台湾での仕事に従事していましたので
20年ほどの人生を、台湾で送っていたかと思います。
日本が戦争に敗れ
台湾は国民党政権の支配となったことから
敗戦後ほどなく、小さな子供を3人連れて、本土に引き上げてきたとのこと。
当時、外地からの引き上げは
想像を絶する苦難の連続だったようで
『国家の品格』で有名な藤原正彦氏のご母堂である
藤原ていさんが、満州からの引き上げ体験を記した
『流れる星は生きている』などを読むと、
そのあまりの凄絶さに、言葉を失います。
私の祖父母は台湾からの引き上げだったので
満州に比べれば恵まれていたと思いますが
それでも、はるか遠く台湾・花蓮港から
幼子を3人連れての長い長い船旅、
そして九州から宮城までの、当時の旅客列車での列島の縦断。
ようやっと引き上げた宮城の地で
文字通り、ゼロからの人生の再興。
敗北感と喪失感に打ちひしがれた心を
家族のために何とか奮い立たせ、
痛いほどの責任感を己自身に課しながら
戦後日本の1日、1日を
ひたすらに歩み続けた祖父母の心中は、
とても察しえるものではありません。
一方、父はその後
宮城から大学卒業後に東京に出て
母と結ばれ、私が生を授かっているので
もし敗戦による本土引き上げがなく
ずっと祖父母が台湾で人生を送っていたなら
私は生まれていなかったでしょうし
こうして皆さんとご縁を頂くこともなかったことになります。
人の運命、人の縁の不思議さを思えば
人智の及ばぬ神縁に、ただ、心たゆたうばかりです。
父母、祖父母といった
今の自分に近い命のつながりを想い
心静かに「とほかみえみため」を唱えてみると
何とも言えず、
湧きいずる感謝のような、哀しさのような
優しく背中を押してくれるような
自分のいのちの芯を、確として支えてくれるような
そんな気持ちになります。
長い長い人類の歴史の上で
どんな苦難の時をも乗り越え続け、
いのちを紡ぎ続けてきてくれたご先祖の意志があって
今の自分が、ここにあること。
皆さんお一人おひとりの
遠津御祖神がそっと励ましてくれる
声なき声にも、ぜひ心を澄ませてみて頂けたらと思います。