死後も役立つ言霊

方法・使い方


こんにちは、
阿蘇安彦です。

GW中に、白川の神葬祭(しんそうさい)
を祝殿で執り行いました。

「五十日祭」といい、
亡くなってから五十日目に
祝殿から根源の神の世界へと
昇っていただく祭祀です。

その祭祀により御霊は、
地球や銀河を巡り、時空間を超え
根源の世界へと還っていきます。

白川のご修行を経験されると、
生きながらにして神を迎えますので、
死後の階梯を登るのもスムーズになります。

もし、強い存念や執着があり、
それが解消できなかったとしたら、
地球に「霊」として残ってしまい、
根源の世界へまで辿り着けないでしょう。

ただし、「霊」として残ってしまうのは
地球に限ったことではありません。

例えば、「死んだらあの星に帰る」という
思いや信仰を強く持っていた場合も、
宇宙(星)に霊として残ってしまう訳です。

さて、皆様と唱えている
「とほかみえみため」

大野さんが書籍で書かれていますように、
「とほかみ」は、遠津御祖神の他に
「十神」の意味もあります。

その中身は、
「別天津神(ことあまつかみ)五神」
「伊邪那岐神(いざなぎのかみ)」
「伊邪那美神(いざなみのかみ)」
「三貴子(みはしらのうずみこ)」の十神になります。

「別天津神(ことあまつかみ)五神」は、
高天原を作る働きをする、まさに「根源の神」です。

つまり、「とほかみえみため」を
唱えるということは、
死後に根源の世界へ辿り着くための
訓練にもなるのです。

阿蘇 安彦

ABOUT US

neten株式会社研究員

空手の指導員、フィットネスインストラクター、貿易業、フラワーエッセンスの輸入販売、生体情報測定機器及び水の研究・開発・販売などを経て、七沢研究所へ。
「生命(イノチ)の可能性を最大限に発揮させる」をテーマに、「水とエネルギー」の研究及びに、「祓い・鎮魂・言霊」の普及活動を行っている。

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22 件のコメント

  • おはようございます!
    阿蘇先生!
    素晴らしい教えをありがとうございます。
    とほかみえみためは、唱える行為は修行と見なして頂けるのですね。真に有り難いです。
    五代先のご先祖まで供養できるのならこんな有り難いことはないと思い、始めました。
    最近は唱えると、顔から上に宇宙があるように見えます。
    何かの残像かもしれませんが。

  • キリスト教で洗礼を受けたから、天国へ必ず行けます❗️と言うのも思い込みで、駄目なんでしょうか⁉️そこのところを、ハッキリとさせたい処なんです。どうぞ宜しくご指導のほどお願いいたします。いつも有難うございます。

  • 見えない神のつながり、神界を知ることができ、ありがとうございます。
    神に戻ることの速道、魂磨きと共に唱えます。

  • 白川では四十九日ではなく五十日目なんですね。
    今年の1月に兄を亡くし、仏前で手を合わせる時はとほかみえみためを唱えています。
    兄は身内から離れた場所に住んでいたので片付け等大変でしたが、とほかみえみためのお陰で良い業者さんにお世話になり無事終わりました。
    根元の世界に戻れたかな?私の在り方も大切だと思いますので、慢心せず続けます。ありがとうございます。

  • おはようございます。
    星になるのもいいかなぁと思いました(笑)

    存念や執着があるのかどうかは分かりませんが
    面白そうだと思ったからです。
    夜空に輝く満天の星は人々に感動を与えます。
    そのひとつになって輝いてみるのもいいかなぁと思ったのです。

  • 阿蘇さん。
    ありがとうございます。
    とほかみえみためは死後にも役にたつ言霊なんですね。
    素晴らしい言霊。

  • 思い・・・私は死んだらあの星にいくんだ~という思いは
    オモイ・・・重いから、重力場を生じて、そこに貼りついてしまうんですね!!!(笑)

    私は母が白血病と宣告を受け、医師から余命を言い渡されるたびに
    心痛甚だしく・・・1秒ごとに何かを失う気がしてなりませんでした。
    喪失を予期して、私は「思い」でいっぱいになり、そして身動きが取れず
    ますます「重く」なっていました。

    重いながらも、なんとか全力投球、泣きながら、日々を精一杯の時間で過ごすことだけに
    集中して過ごして参りました。
    するとある時点から「思い」は「あきらめ」になり、「あきらめ」は「明め・・・」になり
    何も心に沸かない日々になって、泣くことも無くなりました。

    すると「死」というものが「枝(し)」になり、別の枝葉に移ることにすぎず、
    おおもとは何も変わらないことに至りました。

    ・・・先月も、新たに数か月の余命宣告を受け、長い抗がん剤治療を受けた母ですが、
    「死」という重い重力場から解放され、
    蘇るごとく、退院した日に1年ぶり、車の運転もして、それどころか、孫に運転を教えていました。
    (もちろん、補助ブレーキにそのほか、安全装備満載で・・・です)

    出来事に対する「思い」、良いも悪いも、すべてこれを祓い、
    沸いてくる考えや、心配もすべて、鎮魂し、
    「なるように、なる、」という境地に至れるのはご先祖様との確かなつながりが
    あるから。

    とほかみえみため・・・がもたらす、人生の機微は日々私にいろいろなことを教えて
    くれます。

  • 素敵なメッセージ有難う御座いました。

    「とほかみえみため」

    ただこの言葉を唱えているだけでも十分な力が介在するとは思います。
    でも「十神」の意味を知って唱えるのと、知らないで唱えているのでは、やはり天地の開きがあるのかな、と感じています。

    ともあれ深い概念が明確になっていくのが楽しいですね。

  • 先月、父の五十日祭でした。旅立った日も『とほかみえみため』を唱え
    コロナの状況下、親族で法要もできない状況でしたが
    『とほかみえみため』を唱えおくりました。