【エクレル講師座談会 vol.5】今、考えるべき経済のお話し(前編)

その他

好評をいただいているエクレル講師陣による座談会の第5弾をお届けします。

今回は大島さん、石原さん、阿蘇さんの3名で、
「経済」について話し合っていただきました。

大島:皆さん、こんにちは。大島英明です。

石原:石原政樹です。

阿蘇:阿蘇安彦です。

大島:大好評の座談会シリーズをお届けします。
昨年からいわゆるコロナの問題で、経済がだいぶ下降しておりまして、失業者も4万人を超えたというお話もあります。
今年、より深刻化してくる流れも予想されるので、今日は「経済」について、皆で話していきたいと思います。
まずは身近なところから。
阿蘇さん、何か、経済的に行き詰まった経験はありますかね。

阿蘇:そうですね。
私は、社会人になってから、最初は何をやっていいか分からなかったんですけど、とりあえず働くってことに関して、「何か搾取されているんじゃないか」と思っていました。
それで、「稼ぐんだったら、企業などで働かないで、自分でやったほうがいいんじゃないか」って思っていたんです。
それで一度、事業を始めたんですね。
ビギナーズラックなのか、意外と最初は上手くいっていました。
ただ、その後、事業を広げていく中で、ある程度までいくと、儲けるために働くっていうことに、全然意欲も起きなくなりました。
とりあえず儲けようっていっても全然立ち行かなくなってきて、稼いだお金を全部すっからかんにしてしまって。
ちょうどそのとき、結婚もして、子どもいて、パンを買うお金もなくなってしまったという時期がありました。
「これは根本的に見直さなきゃいけないな」という状況でしたね。

阿蘇:それで、今まで自分の経験とか、前にエクレルのインタビューのときにお話しさせていただきましたが、そこで江本勝さんの会社に入ったんです。
それで自分の道というのがだんだん定まってきて、そこからは、あんまり経済的な苦労は特になくなりました。
やっぱりそういった経験の中で、儲けるためとか、とりあえず儲けなきゃいけないって思うことは、その後もあったんですけど、ことごとく失敗するんですね。
結局、自分のセンサーの中で、「自分がこれを天命としてやるべきことなのかな」っていうことをすると、絶対困らないんですよね。
経済的にも、必要な量が必要なだけ入ってくる。
やっぱり、儲かりすぎても、まだ自分のレベルじゃないとか、慢心しているとかがあると、ちょうどいい感じで落ち着いてくるというのはあるとは思います。

大島:すごく分かるなと思うのは、お金を儲けるときは結局、お金が欲しいわけじゃないじゃないですか。
お金で得られると思っているものは、例えば自由であったり、それにまつわるものだし。
あるいは、より市民のレベルになると、要は食うためにお金が必要だから働いているっていう感じじゃないですか。
それで、そこに僕、ものすごい矛盾を感じていまして。
そもそも、人類の歴史の中で生きるっていうのは、ある程度、当たり前のことといいますか、本来であればその辺にイノシシさんも歩いていますし、木の実も腐るほど実っていて、取れば食べて生きていくことに困らないわけですよね。
生存するっていうことが目的な生き方って、本当虚しいと言いますか、日銭を稼ぐために多くの方が一生をその仕事にかけているわけじゃないですか。
そこに意欲が湧かないっていうのは、ものすごく分かるんですよ。

大島:だから、「なんで生きているんだろう?」とか疑問に思ってしまう人、あるいは、自分の命を絶ってしまう人は、意外と大破産した人とかじゃなくて、一般レベルで多いのかなと思います。
なんか目標を失ってしまった感じというかね。
だって、生きるっていうのは当たり前のことで、そこからどうやって命を輝かせるかとか、そっちが目標というか、生きている価値だったりするわけじゃないですか。
だから、その辺りの価値観を変えるのが大事ですよね。
さっき阿蘇さんが、搾取されているとおっしゃっていましたけど、奴隷のように時間を切り売りして、それでなんとか生存が確保されるみたいな社会だと、やりがいがなくなってしまうというのは、すごく分かりますよね。
石原さんも困窮した時代があったと聞いていますが、いかがでしょう。

石原:そうですね。
貧乏自慢みたいですが。
私もインタビューでお答えしたように、やっぱり起業に失敗して、生活に困窮して、家賃にも困ったっていうようなときがあって、「自分には野垂れ死ぬ自由があるんだ」とか言っていた時代もありました。
今のお話しを聞いて印象的だったのは、当時ずっとお世話になっていた20歳以上年上の先輩に「一緒に事業を興そう」って誘われたことがあるんですね。
それで、そのときに言われたのが、「おまえも事業で成功して、俺みたいにいっぱい稼いで、何億とか稼いで、豪邸を建てて俺を招待してくれ」と言われたときに、なんか、すごい体の芯から力が抜けたことがあって。
自分でも不思議なくらい、すごく急にそれで力が入らなくなって。
脱力感って言いますか、本当に不思議なくらいエネルギーを断たれた感じがしたんです。
それまで繋がっていたものが切られちゃったような感じがあって、やっぱり、自分ってこういう方向にベクトルが向くと、力が出ないんだなって実感しました。

石原:その前は、例えば船井幸雄会長の『エゴからエヴァへ』で書かれていたような、ああいう理想社会に向けてなんか仕事ができているっていう思いが、大なり小なりあったんで、「自分ってそういうことをやりたいんだ」っていうのをすごく痛切に感じましたね。
とりあえずお金儲けを目的でやっても上手くいかないんですよね。
それで、自分のミッションを探して生きようって思ったら、やっぱ、どんどんそこから運命が変わりはじめて。
ありがたいことに、今みたいな形でお仕事をさせていただいています。
本当に仕事と思えないくらいの、すごくやりがいを感じる世界と言いますか、それはありますよね。

大島:確かに、世の中には結構、自分が豪邸を建てたいとか、いい車に乗りたいとかっていうのがモチベーションになって、すごく頑張れる人も中にはいると思います。
そういう方も、欲しいものが全部手に入った後に、結局ボランティアであるとか、公の活動に大変換しちゃう人っていうのも結構多いじゃないですか。
だから、そこはやってみないと分からない人と、そこを考えただけで、これは力が出ないなっていう人とで、2パターンに分かれるかなとは思います。

次回は、私の過去の話しや、もう少し経済、お金について深堀していこうと思います。


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6 件のコメント

  • ちょうど今、このことについて悩んでいましたので、なんてタイムリーな記事なのだろうと驚いています。
    今まではお金を稼ぐために転職して、結婚式の資金を稼ぐために一生懸命働いていました。11月に結婚式が挙げられてから、急に仕事をやる気が失せてしまいました。「もうお金のためだけには働けないな」と思い、妻や親にも相談したのですが、「もう少しがんばれ」の一点張り。自分自身、なんとかやりがいを探しながら仕事を続けています。そろそろ最適な答えが出るような気もしていますが、妻や親の「生活のために働く」という固定観念が壁になっています。今、おもしろいところです。

  • どうしても自分の意思や念いで動かないことをしていると、体も心も反応しなくなります。
    労働することは自分の生活のためといいつつ、奴隷化されているのだと、ふと気付きました。そもそもピラミッド構造に作り上げられた社会のテーブルに乗せられて、ただ必死に這い上がるために進んでいる.一部の儲けて(会社によっては搾取するため)楽する人々のために使われているだけだと気づきました。一人ひとりが神様とつながっているので、もっと自分の持って生まれた天賦の才能に気づき、活かしていけば、自然と軌道にのるんだと思います。そんな時代になっていること、そこに導かれていることがすごいことですね
    神の意思に共鳴することが、人間の中にある宇宙とリンクし発動することだと皆が知ると、八百万の神たちとともに宇宙の中の地球、地球の中の日本、日本の中の自分が相似形で展開すると思います。
    いつもわかりやすい情報をありがとうございます。

  • 本当に皆さんもご苦労された時期があり、今を輝いて生きていらっしゃるんですね。私は、ごく幼い頃はともかく3~10歳迄は、戦後の東京で、コメの配給も微量というか、殆どなくて、毎日、一回食事すら満足にできないかも知れないという、超貧乏な日々でしたが、戦後そう間もない頃でしたので、人情は厚く、ご近所さんが、幼い子を抱えて自分は水飲んで子供に食べさせている様を知り、「わずかな食物の端でもいいかい」と何かと届けてくれたもので糊口を注ぐ生活でしたが、私自身はさほど其れに不満を感じることがなかったのです。何故なら、母の行商について回り、売れなければお金がないわけです。当然それを見ていますので、売れた時が頃飯を食べる時と自分の中にそれを刷り込んでいました。母が、橋から私たちを連れて死のうとした時、生きていたいと母に懇願して思いとどまってもらった事で、生きていることだけで満足であった事を思い出します。なのでお金に対しての執着は薄く、逆に、本を読む、新しい事を知るという知識欲旺盛な幼少期でした。紆余、曲折のある中、成人し結婚子供に恵まれた時から、生活の中にお金の占める割合の大きな事を身をもって知りました。職人の夫は変に職人気質が強く、プライドも殊仕事には高いものを持ち合わせていましたので、一箇所にとどまって仕事をしても自分の主張が通らないとすぐ辞めるので収入は不安定、私は小さな店を出して、将来への備えをしようとしたのですが、お客様はすぐつくのですが、儲けはあまりないという具合でした。当然です、損益計算の基準もよく知らず、お客様が喜んでくれるようにと、採算性を度外視したようなやり方では成功するはずもなく、家計は火の車、まあ、それも又、経験と、店畳んで朝、昼、夜から深夜と三箇所のバイトを掛け持ちして7人の子を育てましたね。お金の大切さを感じる事この上なかったし、お金を稼ぎたい、と思いながらも主人の独立後も店を立ち上げましたが船頭が二人の様な有様ではうまく立ち行かないことも多くありました。まぁ其れでもお金は欲しいけど働いていればなんとでもなると思っているせいか、執着の様なものはなくて、変に達観したところがありましたから、益々金運とは縁遠くなりましたが最低限の生きて行くことはできました。その中で、子育てと仕事の狭間で苦しみ、主人の母の介護の手配をしたりで、初めて自分が生きる目的を考えたのです。色々あり経済を考える様になり、生き方を考える様になった時、自分の人生の中に何が使命なのかを問うことができました。其れからが、また大変ではありますが生きる目標があると不思議にその方向に導かれる自分がありました。今、老の新たな学びの時に講師の皆様との出会いを頂いてとても嬉しく思います。長々と取り留めのない感想になりましたが、申し訳ございません。

  • はい、ここ数年ずっとこの状態ですw
    「七沢研究所と縁ができて私はこんなに幸せになった」
    と言って勧誘したいのですが・・・。

  • 今回も沢山の気付きをありがとうございます。
    私も去年コロナによる雇止めになりました。正直ショックでしたし今も生活は厳しい(笑)
    でも、精神的には楽になりました。
    自分らしく生きられていなかったのですね。上司とも上手くいっておらず軋轢も多かったです。私も愚痴ばかりでした。
    そして、ここ半年の間ボーっとしていた割に気が付いたことは、今まで自分のエゴでしか生きてこなかったなぁということ。
    恥ずかしながら「利他」の心など微塵もなかったです(笑)
    よって、いろいろチャレンジしたりしてお金や時間を費やしてきたのに、結果ノウハウコレクター状態。お金と時間を散財しただけという結果で終わっています。
    果実も“何のために働いていますか?”という問いに、生活のためとか生きるためですと答えていた自分に悔しさと虚しさがこみ上げてきました。
    これからも、とほかみえみためを呪文のように唱えて、みえますやアカデミーでお教えいただけることを吸収して、自分のミッションをみつけ、春風のようにサラサラと生きられるよう、社会に貢献できる人間になりたいです♪