※この記事は、「鬼滅の刃」劇場版無限列車編に関する重大なネタバレを含みます。
エクレルの皆さんこんにちは。
内海昭徳です。
先日、「鬼滅の刃」劇場版
無限列車編を見てきました。
なにぶん超話題作なので
不粋な解説をするつもりはないのですが、
今日はコラムの日なので、感じたことを少々。
映画の主題歌でもある大和ことば、
「炎(ほむら)」
から連想された所感です。
今作、劇場版の主人公とも言える
煉獄杏寿郎への鎮魂曲かのような、この曲。
「火」という字が重なり合う
「炎」について、ふと思い、検索してみたところ、
ほむらの語源は「火群(ほむら)」
と言われているそうです。
多くの火が群れ集まり、
燃えさかるひとつの大きな「炎(ほむら)」となる。
情景と情緒を和して象形とする、
感性美が現れている文字ですね。
古語では現代語の火(ひ)を「ほ」と読みますが、
例えば「火垂(ほたる)」という読みもそうです。
また、「ひ」の音は霊(ひ)に通じますので
直霊(なおひ)、産霊(むすひ)といった
神道ならではの概念にもつながります。
そんなことをあれこれ
なんとなしに感じながら
改めて歌詞の一つひとつを感じていましたら
たいへん深く心に染み入るものがありました。
歌詞はもちろん劇中の
ストーリーに即したものですが
今は亡き人と、生きている自分との
心と心を結び合せ、ひとつの炎(ほむら)と
なって感応するように感じ入ってみると
一人ひとり、それぞれの人生にとって
この作品とこの歌が持つメッセージは
また一段と、深まっていくのではないかと思います。
煉獄杏寿郎は苦境にあっても、
「心を燃やせ。」
と強靭な意志で
肉体の限界を超えて戦いますが
その炎のような原動力を
誰もが持つのは、実際のところ容易ではありません。
人は弱いものですから、
心が折れたり挫けたりすることも、
生きることを投げ出したい気持ちに
なることも、時にはあると思います。
自分一人の心の火は、
さして強く燃えられるものではないかもしれません。
しかし、もしも自分の心の中に、
今は亡き人、亡き先人たちの命の縦糸が
重なり連なり合う
火群(ほむら)となって燃えていれば
苦しいとき、辛いとき、
前に進むための
大きな原動力に、きっとなってくれると思います。
その炎の中に、託された想いや
未来への意志があったなら、なおのことでしょう。
コロナ以後、閉塞感が漂い
生きる力が磨滅して行きそうな
日本社会の現状にあって
この映画が心に語りかけてくる
「人が生きる原動力」というものは
ひとつの大きな灯火になるのではと、そんな風にも感じました。
そして、「とほかみえみため」という
言霊が持つ力もまた、
自らの内に、亡き人との炎を
呼び起こし、生きる力を輝かせるものであるならば
この時代にあって、これもまた
ひとつの希望の灯火になりえるようにと
僭越ながら、そんな願いを持った次第です。
一人ひとりの命の火が
集まり、神意の「火群(ほむら)」となっていく
その真なる道を、皆さんと進んで行けますよう。