【エクレル講師座談会 vol.4 】皆さんのご質問にお答えします!(後編)

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前回から大島さん、石原さん、阿蘇さんの3名で、
エクレルの読者様から寄せられたご質問にお答えいただいています。

まだ、前編をご覧になっていない方はコチラからご覧ください。

それでは、後編の質疑応答もお楽しみください。

大島:それでは続いてのご質問にお答えしていきます。これはパラドックス的な話なんですけど、

「とほかみえみため」を唱えないといけないことに囚われてしまっている気がします。どうしたらいいでしょうか。

大島:ということなんですが、こういうときどうしたらいいですか、阿蘇さん。

阿蘇:そうですね。
僕は昔、スポーツというか、格闘技の選手をやっていたときは、練習とかウエイトトレーニングを「やらなきゃいけない」っていうのがあって、それはすごく辛かったですね。
でも今、こういった形で本当にカジュアルに「とほかみえみため」っていうのをどんどん使ってくださいってやっているんで、あくまでも主体的な意志として取り組んでいただきたいんですね。
我々としても強制しているわけじゃないんですけど、強制されている感じがしてしまうんでしょうか、強迫観念と言いますか。

大島:結構真面目な方だと思うんですよね。
真面目だから、「ずっと唱えてないといけない」と思われているかもしれませんね。

阿蘇:そうですね。
特に「ずっと唱えなければいけない」ということは全くないっていうのと、先ほど、石原さんの話とは少し違うかもしれないけど、あんまり「こうなるべきだ」とか、先に作らないというのが大事かなと思うんです。
体験談とかでも「たくさん唱えてこうなった」など色々と寄せられますが、それに囚われなくていいのかなと思いますね。

大島:石原さん、どうでしょう。

石原:そうですね。
囚われていいじゃない、とも思います。
囚われても唱えればいいっていうですね。
だから多分、「唱えないといけないことに囚われている。それがいけない」っていうところに囚われているっていうところがあると思うんです。
さっきの洗剤と同じで、やっぱり、それも一つの浮いてくるアカみたいなものなので、囚われながら唱えればいい、それでいいじゃないかっていうところですよね。

大島:私的にはね、「唱えないといけないっていうことに囚われている自分」を、「とほかみえみため」祓ったらいいのかなっていう感じはありますよね。

石原:さっきの阿蘇さんの話にもありましたけど、ご先祖が何らかの訴えを抱えていて、それが現れているのかもしれません。
自分の中で唱えるっていうことに対する、ちょっと妨害っていいますかね。
それはご先祖の訴えなのか、それとも何かの、よく私が憑依っていうようなですね、一種のそういう作用っていうようなところが、邪魔していることもあることも、ちょっと覚えておくと良いかなと思います。
何か邪魔が入ったのかもしれないってちょっと思うだけでも、なんか急にさっと楽になる場合もありますのでね。

大島:だから、「とほかみえみため」を唱えていると、いろんな感情であるとか、いろんな価値観、思い込みが出てきますよね。
そういうものを片っ端から感じながら唱えてみると、いつの間にかなんともなくなっちゃうていうことが結構ありますので。
その1個の感情、あるいは価値観を掴んで、ずっとそればっかりに、思いつめないっていうのがやっぱり大事かなと思うんですよね。
もうそれ自体が自分の囚われだったりするので、それをもう「とほかみえみため」で祓っちゃう。
そうすると結構あっさり解消することもありますよね。
それでは、次が最後のご質問になります。

初めから参加させていただいています。ずっと実践していましたが、とても悲しいことに、これと分かる変化が感じられません。何か間違えているのか、よほど祓えないことを多く抱えているのでしょうか?

大島:というご質問なんですけど、今までのQ&Aとすごく重複する部分、共通の部分っていうのもあると思うんですが。
改めて、阿蘇さん、この方にアドバイスありますでしょうか。

阿蘇:そうですね。
今までの質問とやっぱり根っこは一緒なところはあるとは思うんですけど。
やっぱり、いろんな体験談のようなことが、自分はないからどうしようとか、効いてないんだっていうふうに思いがちなんですけど。
体感がなくても、必ず深いところでこの言葉を唱えていると、何かしら解消するものがあるので、あまり体感とかですね、劇的な体験談のようなことがないからといって、効いていないということではないんですよね。
ずっとやっていくと、ある時点で自分の意識、持ち方が変わってきたなっていうのを確認できる、自覚するポイントっていうのは出てくると思うんですね。
それは決して、なんかそんなに大きい体験談じゃないかもしれませんけど、「以前はこういうところでこういうふうに反応していたのに、全然そういうのが気にならなくなった」とかですね、そういう、ちょっと細かいところを、確認してみるといいんじゃないかなとは思いますね。
絶対に違いは出るはずなんで。

大島:ありがとうございます。
石原さん、どうでしょう。

石原:そうですね。
とても悲しいと気づけたっていうとこで、もう結果が出ているっていうことが一つあるかなと思います。
要するに、「とほかみえみため」を唱えて、やっぱり最初は、何らかの思いがあって始められたと思うんです。
でも、続けていて何もないということも、悲しいとも思わないっていう日々がずっと続いていたわけで。
それで感情が出てきたことがあれば進化なんだっていうことで。
やっぱり、目に見える成果を欲するっていうところがあると思うんですよね。
さっき潜在意識の話になりましたけども、顕在性と潜在性をきちんと認識したほうが良くて、今、目に見える、自覚できる成果として出ていること以外の成果が実は、「とほかみえみため」を唱えている以上はずっと生じているっていうことを、最初分かんないんだけど、まず認めてあげるっていうことですね。
自分でそういうことを、最初言い聞かせたら、言い聞かせるプロセスもはやり必要かなと思うんですよね。
それも一つの言霊なので。必ず「とほかみえみため」を唱えて、効果早く感じたい、でも感じられない、悲しいっていうことが出てきました。
さらに、それにもう1個くっつけて、いや、悲しいっていうこと自体一つの結果だと。
で、その奥で、深く「とほかみえみため」が浸透しているからこそ、そういう心の思いにも気づけているんだって、もうちょっと言葉を付け加えていくということですね。
それで「とほかみえみため」っていうのをまた改めて取り組むっていうことは大事かなと思います。

石原:質問された方の気持ちはよく分かります。
私も若い頃に祝詞に興味持ったけど、挫折したことがありました。
それは、やはり座禅とか瞑想とか、気功とか、あるいは身体的なワークで統一するのに比べて、言葉なんで。
言霊が分からないうちは、ただの言葉なんで、それで変わる実感が最初、どうしても持てないっていうことで、一回辞めてしまったことあって。
それで、言霊とセットで今回習えて、初めてなるほどって思ったところあるんですけど。
ただの言葉から、実感っていうより、言霊に移行する過程っていうのが必ずあって、今、そのプロセスを順調に歩んでいるんだっていうですね。
それはまた、こういう言葉を聞いたら改めて自分に言い聞かせていただくっていうね。
最初、ピンとこないかもしれないけど、とりあえず自分にそういうのを言い聞かせながらまたやるっていう、そういうプロセスあるのかなっていう感じはしますよね。

大島:確かにそうですよね。
また、違う視点からじゃあ僕はお話しさせていただくと、人の体験談をもらっちゃえばいいんだと思うんですよ。
結局、人間って深い意識にいけばいくほどですね、自と他とかないので、別に自分に体験談なくたっていいんですよ。
「とほかみえみため」を唱えている他の人に体験が出たと。
それ、素晴らしい体験だなって自分がもらっちゃえば、自分の体験になっちゃうんで。
そうすれば、自分の情報場がどんどん、どんどん豊かになっていって、そういう体験がいつ起きてもおかしくないというか、もう全部取り込んでしまうので、そういう境地になっちゃうんですよね。
だから、あんまりその辺ですね、自分の体験、他人の体験とか分けずにですね、「とほかみえみため」で起こった体験はもう全部自分のものだと。
自分に起こった体験はみんなのものだと。
その辺りの分離を外していくと、より奇跡っていうものを体感しながら、生きていけるんじゃないかなって思いますね。

石原:そうですね。
初めから参加してくださっているということで、他の人の体験談に随分触れてらっしゃると思うんですよね。
だから、実はもう本当、自分でも大きな変容が起こる手前までエネルギーが満タンに、どんどんどんどん充満しているところかもしれないですし。

大島:そうですね。

石原:今日の言葉でぱっと火がついて、パンと爆発するかもしれないですからね。

大島:そうですね。
もうパンパンに張っている感じですかね。

石原:そのような心持ちでいていただければと思います。

大島:ということで、今日はエクレルにお寄せいただいたご質問に回答させていただきました。
またこういう機会を持ちたいと思いますので、楽しみになさってください。
ということで、石原さん、阿蘇さん、ありがとうございました。

石原:ありがとうございました。

阿蘇:ありがとうございました。


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10 件のコメント

  • ついつい、人と比べて全く変化がないと思ってしまいますが、一緒にとほかみえみためを唱えさせて頂いている友達とシェアしていて、大きな変化に気付きました。
    いつも人の顔色を伺いYESまんだった私がNOを言えるようになっていました。無理は無事。嫌な事は嫌。違うことは可笑しい。等々。はっきりと言える人間に変化し別人になっていました。人のコメントを比較に使うのではなく自分のこととしてもらっていきます。とても楽しみです。ありがとうございます。

  • どこかで書いていたような気がするのですが、改めて。

    最後の質問についてはちょっと前までわたしも感じていたことでした。
    約一年前にとほかみえみためを知って唱え始めたんですけど、1日で職場の状況がよくなったとか、唱えたらすぐに自分が嫌だなって感じたことがなくなったという話に触れて、なんでわたしにはないのかなって悩んでいました。
    お金に囚われがちだから経済的なことを聞くと余計にざわつくこともありました。
    わたしには資格はないんだろうか、人よりひどい状態なんだから仕方ないんだとか思いました。一方で、今はご先祖さまを清めている段階なんだから、わたしは一番最後でいいんだっていう思いもありました。これは大野さんの本で思ったことだったかな。でも半ば強がりだったところもありましたし、言い聞かせていた時期もあります。そうしないと、仲間の体験談が自分にない状況を受け入れられなかった面もありました。努力していると言うより、その環境の中で生きるために必要だった面が大きかったです。仲間のことが好きでしたし、心理的に離れたくないなって当時は思っていたから。

    どこで変わったかは忘れちゃいましたが、視点が変わったんです。今までは自分の力で成し遂げている、いいことは自分がこう動いたから起こったことなんだと思っていました。能力を誇りがちで、誇りたいから承認欲求が生まれて、他者から認められないから苦しむというループにはまっていました。でもある時に、これは自分のものじゃない、その時その時に必要なことが浮かんでやっているだけであって、それは自分のものじゃないと感じる様になりました。
    自分は経験しているだけ、見ているだけ、合ったことを行動しているだけ。発揮される能力は自分だけのためじゃなくて、いろんな人のためにあるんであって、いろんな人のためになることに生かしてないと苦しいだけ。いろんな人、公につながっていると分かると、承認欲求も弱くなるんですよね。

    経験はわたしの中の情報になり、情報はとほかみえみためを唱える時につながれる情報場に置かれる。置かれた情報は様々な他の情報と交わり、精査され、より的確な形で置かれる。そして精査された情報が置かれる量が多くなればなるほど、とほかみえみためを唱える人たちによい影響を与えていく。
    だから最後の質問をされた方の経験も決して無駄にはならない。必ず誰かの助けになっている。
    でもその方が今とほかみえみためで幸せになっていたらよりいいな。
    とほかみえみため。

  • 初学者ですが、なかだるみの私にとってタイムリーな内容で、読みながら涙が出ました。
    とほかみえみためは迷わず唱えていますが、日々わきおこる不安を落ちつけるだけで精一杯で、日常のお掃除も最低限のまま部屋の整理が進まず、なんとなく焦りを感じていました。
    私には自分の体験談をうまく語れないという思い込みがあったこと、そもそもうまく語らねばならないという価値観に囚われてきたこと、など、心の中のもやもやが言語化され、体がゆるみ、涙とともに祓い清められた感じがしています。
    お恥ずかしい体験ですが、共有の場に恵まれたことが嬉しく、取り急ぎお礼まで。
    とほかみえみため

  • いつもありがとうございます。
    2番目の質問者さんと同じ気持ちでいました。
    大島さんのお話で、体験談のことも自他を分けず
    全てが自分の体験としてしまう。自分の体験が全ての人の体験。という…
    ついつい癖で他と比較してしまいますが、個と全体、全体と個。全て一つということなのかなと思いました。
    とても心地よく感じました。

  • 明けましておめでとうございます!

    諸先生方の御講話を拝聴させて頂き1年になります。
    何時も焦り、恐怖心、依存心でいっぱいだった私が、ゆったり
    まぁまぁと落ち着きまるで別人のようになりました。
    意志の発信とか言霊とかさっぱり分かりませんでした。
    訳が解らなくとも、ただ聴いたり、見たり、漂わせていれば良いという
    御励ましに、安心して。過分にお送り下さる資料も我がままに身の丈で
    良いんだと身勝手でした。ただわからずも祓いと鎮魂をやらせて頂きました。
    放り出したいほど嫌いだった自分でしたが、今全てに感謝できる新しい自分と
    出合いつつあります。ふと思うは神心。
    そのささやかなギフトに感謝し、全てに微笑んで頂けるようご指導下さいました白川の
    関係者の皆様に全身全霊を持って感謝申し上げます。
    まことにありがとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。

  • 『唱えなければいけない』と囚われている気持ちがパッと浮かぶことは私もあったので、大変参考になりました。ありがとうございます。

  • 先生方に採用されるようなすごい体験談はありませんが、座談会での先生がたのお話を読んで安心しました。みなさんの体験も取り入れれば良いのですね。素敵な教えをありがとうございます。これからも、気づいたら唱えます。とほかみえみため

  • 毎回、役立つお話をありがとうございます。

    「体感がなくても、効いている。問題ない」というお話しは何度も仰っていて、それには、私もその通りなんだろうな、と思います。
    一方で、「とほかみえみため実践大賞」などを設けて、効果に優劣をつける様な取り組みには疑問を感じます。いろんな体験談をシェアするのはとても有効だと思いますが、大賞制度は、ネガティブな面もあると思っています。そちら(主催者側)の恣意で選ぶ点にも傲りがある様な気がします。

  • 私もご質問された方々と同じ心持で毎日過ごしております。「あ!こういう時に唱えるべきだった!忘れていた!」とか、「唱えなくちゃ!、今日忘れていた、まずい」等、自責の念にかれれていたり、唱えていても変化や体験談につながることがなくて焦ってみたり。
    唱えていると雑念が浮かび上がってきたり、唱えることが“ねばならない”精神になっていて本来の目標を失っていたり。
    様々です。
    逆に唱え始めてから体がダルダルで朝起きられなく倦怠感だらけの毎日で、特に年が明けてからそれが増長されて毎日焦ってばかりでどうしようどうしようという状況でした。
    なので、講師の皆様の、『何でもありあり!どんな状態でも問題なし!全てOK』というコメントにとてもとても安心いたしました。
    今は何かが変わってきているはず!ご先祖様の未消化部分か何かが私に現れているんだ!等ど都合よく解釈しております。
    今回も素晴らしいメッセージをありがとうございました♪

  • いつも有り難うございます。

    「人の体験も自分のものとする♬」
    バツグンに面白〜いです
    目から鱗❣️また一つ概念が飛んで行きました‼️
    体験でさえも「自分と他を分離しない」凄くイイです♪心が豊かになります♪

    【エクレル講師座談会】
    いつも皆様の ご意見を話す場が好きです❣️
    お互いを尊重され受け入れてご自身の意見を表現する!‥その場の雰囲気が暖かくて好きです。

    目に見えない「雰囲気」は常々大切だと思っています。スポーツ少年団の母集団でも「一人一人がその雰囲気を創ってくれているのよねー♬」と声かけしています。
    今、子供達が安心して活動出来るのは、コーチ陣と母集団のお陰さまです

    これからも「とほかみえみため」に常に戻って出直す!を続けて参ります。

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