エクレルにてコラムを執筆している講師陣による
座談会形式の記事をお届けします。
今回は、「なぜ、自ら命を断つ若い女性が増えているのか?」
の後編となります。
まだ、前編をご覧になっていない方はコチラからご覧ください。
石原:それはよくありました。
やっぱり、同じようなところで、なんか妙な、ロマン感じるっていうのもありましたし。
あとすごく無力感と虚しさも感じていたこともありました。
ちょうど私の世代って、「しらけ世代」って言われていて、学園闘争とか一通り終わって、バブルの最中だったので、世の中は浮かれているけど、私はそれを虚しく感じていて。
逆に、ああいう学生闘争みたいな、熱い時代に生きたかったと思ったりもしました。
何もかも忘れて打ち込めるような、そういう仲間とか、そういう活動の場が欲しかったと思っていました。
だけど、その歴史の中の無力感みたいなのはすごくあって。
そしたら、かなり面倒くさくなると、尾崎豊の歌とか聞いて、盗んだバイクで走り出すとか、窓ガラス壊して回ったみたいなですね、あの人も長生きできませんでしたけど、切なさって長持ちしないといいますかね。
大島:そうですね。
石原:それ、非常に感じますね。
逆に、「こんなことで苦しんでいて、いいのかな」っていうのが一つあって。
家がお寺だったんで、やっぱりそういう戦争に関する墓地とか戦没者の墓地とかを見ると、「こんなことで本当に苦しんでいいのか」って思うこともありました。
戦時中の記録をとことん見て、悲惨な記録ばかりで心が楽しくなるようなことないんですけど、ただ、とてつもない、同じような学生たちが学徒出陣ってことで戦地に駆り出されて、「どこまで続く泥濘ぞ」とかを読みながら、もう苦しんで死んでいくみたいなところでも、ときどき、チカっと光るような、一瞬の美しさをやっぱり持って亡くなる人たちも、その遺書を見るとやっぱりあってですね。
そういうところで、落ちきった後に何かあるのかなっていうところがやっぱりありますね。
それを考えると、社会的な居場所ってよく分からなかったんですけど、私はある意味ずっと苦しみ続けたって言っていているんですけども、ただ、心の中のスペースをちゃんと作る。
だから、いろんな嫌なことがあっても、心の中に避難所をちゃんと作るっていうのは大事じゃないかなと思います。
やっぱり今の「とほかみえみため」に通じることで、心の中でそういうことをちゃんと唱える。
そういう拠り所になるものがあるんじゃないかと思いますね。
唱えるような系統の超越瞑想を習いに行ったりとか、座禅とかやったりとか。
でも、それでもなかなか「これだ」っていうものがなくて、一時、なんかちょっと解決したような気持ちになるんですけど、やっぱあの年頃ってまた沈むっていうか、その繰り返しで。
そういう、部活とかの人間関係も非常に苦労したりして、でも将来もよく見えない。
何より、生きて何になるんだろうっていうことがずっと根底にあって。
だから、「生きていて何になるんだろう」っていうことは解決できるのかという、その不安があって、周りの大人も誰も答えを出していなくて、大人も苦しんでいるように見えて。
じゃあ、どこに助けを求めたらいいのかって考えて、結局、歴史の中の、何か得たらしい人たちの本をずっと読みまくるみたいなところがありました。
哲学とか仏教とかですね。
そんなことも繰り返し、本をずっと渡り歩いて、なんかちょっと明るい気持ちになった気がして。
でも、3日もしたらまた落ち込んできて、また次の本飛びついてみたいな。
スピリチュアルオタクのはしりみたいな感じでした。
新宿の紀伊国屋の精神世界コーナーとか入り浸るみたいなですね、そんな時期もありましたよね。
ただ思いっきり身体を動かさないと駄目だな、病んじゃうなと本当思って。
やはりそこで、剣道が役立って、苦しい時も身体を動かして、苦しさを一瞬忘れる、自分を忘れる時間っていうか。
肉体的なエネルギーで自分を忘れるみたいな、そういうことも必要なのかなと思います。
大島:僕、20代の前半くらいですかね、結構、鬱だったときがあって。
もう布団から出られないようなときに、そのとき信じていた、言霊みたいなのを唱えたんですけど、最初は、やっぱり布団から出られないので、布団の中で唱えていたわけですよ。
それで、部屋の中に起き上がれるようになったり、部屋の中歩きながらまた唱えるようになって。
さらに、外に出られるようになったので、今度、お日様に当たりながら、散歩しながら唱えるというのをやっていたら元気になりましたね。
だから、どんなに落ち込んでいても、口だけは動かせる、ちょっと歩くことはできる。
そこで少しずつ体動かしながら、やっぱり陽の光って大事なんですよね。
陽の光を浴びないと鬱になっちゃうので。
物理的にそれだけでも違いますよね。
だから、そういうできること、僕らには「とほかみえみため」があるので、「とほかみえみため」唱えながら、とにかく歩いてみる。
そして焦らない、がすごく大事ですよね。
石原:そうですね。
大島:それと早く結論を出したがるじゃないですか。
「ああもう、結論出ないんだったらえい」っていう感じでなっちゃうと、もう今生は取り返しつかないので。
石原:そうですね。
「それを聞いていて思い出したのが、あのときずっと、よく言い聞かせていた自分なりの言霊のようなものがありました。
「辛抱強く時を待て」って自分に言っていました。
「それをずっと言い続けていたので、それを聞くと、ちょっと落ち着くということがありましたけどね。
阿蘇:あとやっぱり、お祓いというか、毎朝、祝殿とかでもやっていますけども、基本的に白川のお祓いって、一回自分の死を経験するというかですね。
白装束で一回死んで、そこから生のエネルギーをまたスパークさせて、自分で何をするかっていうのを宣言しているので。
そもそも、毎日、ある意味、自殺していますよね。
大島:確かにそうですよね。
石原:そうそう、そうそう。
阿蘇:概念で一回、自我を殺しているわけで。
そこでは、自我を大切にしてどうこうっていう価値観とは違いますよね。
大島:そうですね。
阿蘇:またちょっと別の階層かなと思うんですね。
石原:そうそう。そうですよね。
阿蘇:だから、そういう階層があるってことを知るのも大事かなと。
大島:そうですね。
この道を深めていくと、本当に根本的な解決にはなると思います。
だからぜひ、これをご覧になっている方は、「とほかみえみため」を入り口にいろいろ学んでいただきたいなとは思うんですけれど、当座の対処法としては、「とほかみえみため」唱えながら歩いていただくとか。あるいは、有名人のダウンタウンの松本さんか誰だか忘れましたけど、やっぱり死にたくなることが昔よくあったみたいで、そんな時は「死ぬのはいつでもできるから明日にしよう」って思っていたと言っていました。
そうすると、次の日になると、まあいいか、頑張ってみようってなるというか、ちょっと先延ばしにするみたいな。
そんなちょっとしたことでも意外と乗り越えられたりもするんで。
だから、本当に焦らないでほしいなっていうのはあるんですよね。
結論を急がないでほしいというか。
石原:そうですね。
大島:状況っていうのは、必ず変わるのでね。
石原:「ふとまにの里」に、農作物の収穫とか来てもいいかもしれないですね。
大島:そうですね。
石原:大地の中で、ああいう植物に触れるって結構、自分の中のいろんなモヤモヤしたものがアースされるんで、実際にね。
阿蘇:あとね、若い、若年層の方、これから社会に出て、じゃあ社会の中でどんな役割があるかとか、そういうのを考えると、やっぱり無力感につながっちゃうかもしれない。
やっぱり社会は社会であって、生きているだけで価値というかですね、生きているのが目的だっていう、見方もありますんで。
社会的な役割の価値っていうのは二次的なものであって、自分の中では、大切なんでしょうけども、それが全てだと思わないようにしてほしいですね。
大島:そうですね。
将来のこと不安になるかもしれないけど、僕らも明確にこうなろうと思ってなっているわけじゃなくて。
とりあえず意志だけあって、とりあえず真実を掴もうとか、世の中のためになろうとか、それだけはあったんですけど、そのプロセスに関しては、全部自分で明確に決めてきたわけじゃなくて、気づいたらここにいたんですよね。
石原:そうですね。
阿蘇:だから、将来のことって、我々も明日のことが分からない。
大島:分からないですよね。
阿蘇:ところが、楽しさがあるっていう。
大島:そうそう。
意外となんとかなるんですよ。
最初の意志だけ置いとけば、ちゃんとそっちに流れていって、結果的にはそこにいるようになるので、あんまり深刻に考えないほうがいいかなっていうのはありますよね。
石原:そうですね。
本当に、意志エネルギーっていう言い方を、私たちもよくしますけど、それがすごく大事だなって感じます。
さっきの、辛抱強く時を待てって言っていましたけど、今にして思うと、やっぱりそういうね、私たちが中今っていうか、もうある意味、解決しているっていう世界が結構あって。
そこを知っておくだけでも、解決するような方向に、なんとなく物事が流れやすくなるという。
大島:そうですね。
石原:知らないよりはですね。
大島:そうですね。
だから、本当に深刻にならないっていうのはすごく大事ですよね。
僕らも、なんだかんだやったけど、なんとかなっていますからね。
石原:そうですね。
大島:いや本当にそんな感じでね。
石原:そうですね。
想像を超えたことが、起きてきますよね。
大島:そうそう。
やっぱり見えないことを、体験してないことって、不安に思うかもしれないけど、起こってみると大したことないっていう感じですよね。
阿蘇:あと、人間関係で言えば、意外と、今のフィールドだとそうかもしれない。
でも、いろんな人いるから、また新しい出会いで、人間関係もぱっと変わりますよね。
大島:変わりますね。
阿蘇:今の関係がどうっていうので、だから自分は駄目だっていうわけでもないんで。
大島:ないですよね。
阿蘇:意外とまた、無限の可能性の人の出会いっていうのはあるっていうことで。
大島:いや本当にね、日本なんかいい人のほうが圧倒的に多いので。
例えば、今ひどい目にあっていると。
上司の人からひどい目にあっているとか、クラスメイトからひどい目にあっているっていっても、他の場所行けばそんなことないですからね。
意外と一時的なもんですからね。
だから、本当に掴まない、深刻にならないっていうのは一つ、ポイントですよね。
あとは、とりあえず意志ですよね。
やっぱり自分がどうなりたいかっていうのだけは置いといて、あとは本当に目の前のこと一つ一つね、やっていればなんとかなりますからね。
石原:そうですね。
あとは、意志をもとにした、言葉のすごさっていうのがだんだん分かってくるっていうのが一つあって。
なんでもかんでも、とりあえず書いてみたらいいかなって思います。
溜まっている悩みとか、罵倒したい人間の悪口とかでも、なんでもかんでもとりあえず書いてみてっていうのも大事かなって。
それを書き出したら、今度は祓われるっていうそのステップになっていきますからね。
阿蘇:そうですね。客観視できますもんね。
石原:そうそうそう。
阿蘇:気持ちが。
大島:あとは、『みえます』に入ると感情マスタープログラムがあるので、ああいうものもぜひ、ご縁のある方やっていただくと、こういう問題を乗り越えるのには非常に役に立つかなと。
石原:そうですね。
イージーロゴスなんか、もともと根っこに祓いの周波数入っているから、さっきみたいな、いろんな自分の中の醜い心と普通思っちゃうようなこともさらけ出しちゃうと、もう書いているだけでもイージーロゴスで祓われちゃう、清められちゃうってこともありますしね。
大島:そうですね。
ぜひ、今日の対談で参考になることがあれば幸いです。
ということで、今日は若年層の、特に女性の、自殺を題材にみんなで話し合ってみました。
ありがとうございました。
石原:ありがとうございました。
阿蘇:ありがとうございました。
大島:そうですよね。
石原さんもお若い頃、死にたいなって思ったことあるんですか?