皆さんこんにちは!
石原政樹です。
前回「止観」のうちの「止」についてお話をしました。
ここ2~3年、マインドフルネス系のご質問を数多くいただきます。
皆さんも実践された経験があるかもしれません。「止観」はマインドフルネスの核になる部分です。
少しマニアックな話になりますが、お付き合いください。
私も20年ほど前、スリランカの高僧についてマインドフルネスの原型であるヴィパッサナー瞑想に取り組みました。
マインドフルネスはその源流を辿ると、タイ、ミャンマー、スリランカなどのアジア圏に伝わったヴィパッサナー瞑想に依ります。
流派によりますがヴィパッサナー瞑想は「止(シャマタ)」、「観(ヴィパッサナー)」で成り立っています。
「止観」については、専門的には細かな定義や仏説がありますが、現代社会に生きている私たちが日々の生活で役に立つ視点からお話しさせていただきます。
一般的「止観」の定義をご紹介すると
↓
仏教では瞑想を止と観の二つに大別する。「止」とは、心の動揺をとどめて本源の真理に住することである。また「観」とは、不動の心が智慧のはたらきとなって、事物を真理に即して正しく観察することである。
このように、止は禅定に当たり、観は智慧に相当している。
(wikipediaより抜粋)
つまり、「止」は、特定の対象に精神を集中し、心の動きを止める方法で、熟達すると強力な集中力が得られたり、幸福感や澄み切った心の状態を得られることもあります。
あれっ?これ鎮魂です 笑
鎮魂はまさに「止」の実践をしていると言えますね。
次に「観」は観ること。
これも実は鎮魂の更なる側面です。
対象や自分を客観的に観察しつつ、
観る対象が本質として無常であり、空であることを、ありのままに観ることと言えるでしょう。
ここが仏教的ゴールですが、古神道、さらにそれをこれからの時代に適うように進化させた「真道(しんどう)」では、
観によって冷静に現象を観て、そこから新たな創造、生産活動を導き出し、人類に貢献することを良し‼️とします。
仏教僧のように、悟りを求めて止観を得るには、適切な環境と長い修行が必要です。
ましてや、現代社会に生きる私たちにとって、心を鎮めるために時間を取ることも、その鎮まった心を維持することも、容易ではありません。
さまざまな境遇や異なる能力の人が、
最小限の労力で、最短に結果を得るには
やはり「とほかみえみため」です。
豊かな創造を産むための「観」につながるにも「とほかみえみため」。
これはもはや万能薬 !笑。
「とほかみえみため」で、私たちの大元に繋がって器をつくり、その器を満たしていく。
これこそ今を生きる私たちにとって最も必要で最適なツールであると言えるでしょう。
あれこれ、お話ししましたが、
要は昔は難しく大変だったことが「とほかみえみため」で簡単になるんだよ~♪
ということです。
さあ、今日も「とほかみえみため」を唱えて、創造力溢れる一日にしましょう!