皆さん、こんにちは!
石原政樹です。
皆さんお元気でお過ごしでしょうか?
さて、明治政府が掲げた「王政復古」は江戸幕府を破壊するための大義名分に過ぎませんでした。
「王政復古」とは、武家政治・共和制などを廃し、再びもとの君主政体に復することです。
彼らにとって天皇の神なる力、国を統(す)べる力が発動するのは自分たちが権力を掌握する上で邪魔だったのでしょう。
その統べる力の源こそ「とほかみえみため」でした。
「とほかみえみため」を世に知らしめた「三種祓(さんしゅのはらい)」は白川伯家神道で最初に唱える重要な祓詞(はらいことば)です。
白川神祇伯王家はこの「とほかみえみため」を千年以上、護り伝えてきました。
この伯家の時代的背景について、
さらに触れてみましょう。
これには古代から連綿と続いてきた律令制が深く関係しています。
律令制の特徴は二官、「神祇官」と「太政官」が置かれたことです。
神祇官とは、もともと政治を司る太政官よりも上の位に置かれ、
国家の祭祀を司る官庁でした。
ちなみに太政官の上に神祇官があることは、日本のオリジナルです。
律令制の導入元である、中国にはないのです。
この順序には重大な意味があります。
古代社会には、
カミ(神)
キミ(君)
オミ(臣)
タミ(民)
イミ(忌)
という階層がありました。
次回はこの構造の意味についてお伝えします。
(つづく)