こんにちは、「とほかみProject」プロジェクトチームの平井です。
エクレルではこれまで、
「とほかみえみため」にまつわるコラム、
みなさまからいただいた体験談の解説などをお届けしてまいりました。
そして、この度、新しい企画として
「エクレル講師陣インタビュー」をお届けすることになりました。
今まで詳しくは語られてこなかった、
エクレルの先生方がどのような経験を積まれ、
どのような出逢いから、白川の道を歩まれたのか。
ベールに包まれた先生方の過去に迫りました!
どうぞご覧ください。
講師=浅子さん
インタビュアー=平井
大学卒業後、音楽の道へ
浅子:よろしくお願いいたします。
平井:早速、一番気になっていたことをお聞きしたいのですが、netenグループに関わる前はどのようなお仕事をされていたのでしょうか?
浅子:わかりました。
グループに所属する前は、主に2つありまして、1つがですね、音楽学校のTA(ティーチングアシスタント)です。
実は私、大学を卒業した後に少ししてから音楽の専門学校に入ったという、ちょっと変わった経歴があります。
平井:えっ、そうなんですね!
音楽をされていたとは初耳でした。
いつ頃から音楽をされていたんですか?
浅子:中学くらいから音楽にはまりだして、ギターから始めて、20歳でベースに転向しました。
なんか、ギターよりもベースの方がカッコいいなって思ったんですよね。
ベースって低音楽器なんですけど、独特な世界観があるというか、低音があることで音楽っていきいきしてくるところがあって。
低音一つ、その音を置くタイミングとか音の長短で、もういくらでも音楽が変わってしまう可能性というか、そういうのに惹かれて、どんどんのめり込んでいったんですね。
浅子:その専門学校は2年制なのですが、卒業してすぐにお仕事をいただいて、TA(ティーチングアシスタント)をやっていました。
TAというのは、先生の補助の役割ですね。
毎日のようにライブ演奏があったような学校でしたので、ライブをみて演奏の指導をしたり、アドバイスをするような仕事をしていました。
平井:なるほど〜。
ちなみに、もうひとつはどのようなお仕事をされていたのでしょうか?
浅子:もうひとつは、音楽とは全く違うんですが、瞑想教室のスタッフをやっていました。
「瞑想会」を月に15回ほど実施しているようなストイックな教室で、瞑想会のサポートをする仕事です。
平井:「瞑想」は今とも、通ずるところがありそうですね。
浅子:それで、またその教室が面白くて。
教室に大きい羽釜があって、備長炭でご飯を炊いて、瞑想教室に来てくれたみなさんに振る舞っていたんですよ。
先生のサポートもしながら、ご飯を作ったり、教室の掃除をしたり、瞑想会や宿泊瞑想リトリートなどを通して教室の運営をサポートしていましたね。
大島さんとの出会いも瞑想教室だった!?
浅子:もうひとつ面白いエピソードがあって、実は瞑想をキッカケに大島さんと出会うんですよ。
平井:えっ、そうなんですか!?
浅子:そのあたりはまた後ほどお話しましょう。(笑)
平井:わかりました。
気になるところではありますが、楽しみにしておきます。
「瞑想」について、もう少し質問をさせてください。
いつ頃から瞑想に興味をお持ちだったのでしょうか。
浅子:瞑想については、実は「エクレル」でもチラッとだけ書かせていただいたのですけれども、始めたのは20代前半ですね。
学生時代、「素の自分」を教室の中で出せなかったというか、本音で友達と接することができなかったっていうのが、ずっと続いていたんですね。
多かれ少なかれ、そういった「全部を打ち明けられない」という経験をしたことのある方もいると思うんですけど、それが私自身は、学生時代に結構苦しくて、生きづらさを感じていたんですね。
平井:たしかに、多くの方が経験しているかもしれません。
浅子:その後、大学を卒業した直後に、溜まっていた何か、それは素を出せなかったことだったり、本音で人と接することができなかった苦しみみたいなのがですね、大学卒業を機に一気に溢れ出てきてしまいまして。
ちょっと何も手につかないくらい、精神的に落ち込んでしまったんですよ。
平井:そうだったんですね・・・
浅子:精神的に落ち込むと、「なんでこういう状況になってしまったんだろう」と考えるんですね。
すると、そのうちに人のせいにしたくなってきちゃうんですよ。
例えば、「昔あの人にこういうこと言われたからだ」とか。
色んな記憶を辿って、原因を探って、どうも周りのせいにしたくなっちゃってたんですね、その時。
平井:その気持ち、わかります。
浅子:でも、それではいけないとも思っていて、「とにかくこの状況を脱したい」ということで色んな本をいきなり読み出すんですね。
精神的に参っているので、精神世界の本を相当数読みました。
そうしていろいろな本を読んでいるうちに、あることに気づくんですよ。
すべては自分の心が創り出している。
平井:気になりますね。それは一体、何でしょうか?
浅子:何かって言うと、「周りのせいではない」と。
今の状況になってしまったのは。
結局、自分の心が全部作っていて、すべては自分が作り出している世界であり、自分が原因なんだってことに、段々と気づいてくるんですね。
平井:すごい気づきを得られたんですね。
浅子:そうこうしているうちに、一冊の本と出会うんです。
その本が呼吸に関する本で、「呼吸」を客観的に見つめることについて書かれていて。
「呼吸」って、意識的に止めることもできれば、無意識的に続くものでもありますよね。
意識と無意識の境界にあり、意識的な世界と無意識的な世界、それを繋いでくれるようなそういった位置づけであると。
つまり、「呼吸」が「目に見える世界」と、「見えない世界」との橋渡しをしてくれてるんだよっていうのが書かれているような本だったんですね。
平井:意識と無意識の間にあるものが「呼吸」である。なるほど。
浅子:それが実は、お釈迦様が悟りを開かれた瞑想と言われている「ヴィパッサナー瞑想」だったのですが、その1つに呼吸を見つめる瞑想っていうのがありまして。
それをきっかけに、ご質問いただいた瞑想を始めることになるんですね。
「すべては自分が作っている」のだから、瞑想によって内側を整えればすべてを変えていくことができるんだっていう、その一心でした。
平井:面白いですね!多くの人は外側に何かを求めがちですもんね。
浅子:呼吸と身体の感覚をひたすら見つめていくんですよ。それによって、面白いんですよね。
何でこんなこと今思い出すんだろうっていうような記憶がふっと出てきたりすることが色々起こってきて、内面的にも解かれていく体験がありました。
20代前半から毎日、瞑想をしていくうちに、段々と内側が変わってくるっていうことがあったんですね。
平井:そのような体験があったんですね。
目に見えない世界を感じ始めたキッカケは「瞑想」だったと。
浅子:この話、あまり研究所の人にも話してないですね、多分。(笑)
平井:ありがとうございます。
「瞑想」というキーワードは、エクレルでも書かれていたのですが、その記事の中で、小学生の頃に「出木杉くん」というあだ名が重荷になっていたと書かれていましたよね。
浅子:学生時代はまさにそうでしたね。
苦しみの原因を自分ではない、何かのせいにしていました。
「出木杉くん」って言われたのが、小学校4年生だったんですけど、どうもそのときから、クラスで居心地がよくないなっていうのがあって。
それが大学時代にまでつながっている、ということが自分の中での定説でした。
「出木杉くんって周りが言うから、優等生じゃないといけない。はめをはずせない、気を抜けない、弱みを見せられない。本音を出せない。」そんな風に思っていましたね。
それによって積もり積もっていった何かが、音楽に向かわせていた部分もあったと思います。
音楽で、本当の自分を表現するんだって。
平井:なるほど。
浅子:ただ、瞑想を始めてから過去の出来事に対する見方が段々と変わってきて。
あるときに「エクレル」で書かせてもらったように、その出木杉くんの一件があったから瞑想にも出会えたし、内面的にも凄い変わっていくことができたし、さっき言ったように色んな本と出会うことができた。
それだけでなく、その苦しみがあったからこそ音楽の仲間と出会い、瞑想と出会い、瞑想教室でもいろいろな人と出会えたし、netenグループとの出会いもありました。
こうして「とほかみProject」を通した出会いもいただいています。
もっと言うなら、その数々の出会いを通して「本当の自分」と出会うことにもつながった。
今では、過去に出木杉くんと言われた出来事に対して、本当に感謝できるようになったっていうのが凄い大きな変化の1つですね。
平井:それはすごい変化ですね。
瞑想によって、ご自身の中でも大きな変化があったということですが、それだけではなく、瞑想をキッカケに大島さんと出会うんですよね?
浅子:そうなんですよ。
一番初めに大島さんにお会いしたのは、瞑想教室なんですね。
今でも鮮明に覚えています。
大島さんと浅子さんの出会い。そしてnetenグループとの出会いは続編で。
11月6日(金)浅子さんインタビュー公開予定!
平井:今回のインタビューは「とほかみProject」に参加してくださっているみなさまに、先生方のことをより知っていただこうと思って企画をさせていただきました。
ベールに包まれた先生方の過去のお話も聞いていきたく思いますので、よろしくお願いいたします。