【エクレル講師座談会 vol.1 】なぜ、自ら命を断つ若い女性が増えているのか?(前編)

その他

大島:皆さん、こんにちは。

石原:こんにちは。

阿蘇:こんにちは。

大島:今日から、一つの社会問題を取り上げまして、講師みんなでその結論を出していこうという「座談会のコーナー」を設けました。
今日は、石原講師と阿蘇講師とともに、私、大島でお送りしたいと思います。

今日のテーマは、「最近、若い女性、10代、20代の女性の自殺が増えている」ということで、その原因や対策について、我々3人で討論してみたいなと思っています。
石原さん、率直に、どういう原因があると思われますかね。

石原:そうですね。
少し考えてみると、若い時に、自殺を考えない人はいないのではないかとも思いますよね。

大島:そうですよね。

石原:私も含めて、やっぱりそういう時期ってあるのかなって思います。
ただ、ネットやSNSを通してデジタルの情報がどんどん増えてきて、ゲームでもそういう世界に入り込むようになりやすい時代なのかもしれません。
だんだん、私たちふうに言ったら「体の階層」というか、肉体の感情が希薄になってきて、それを断つことにもあんまり抵抗がない。
少し前に流行った動画『夜に駆ける』ですか、ああいうビジュアルで飛び降りるカップルが増えているっていう話もありますけど、昔だと、その動画の世界と自分の肉体っていうのはちょっと距離があったのが、今はすごく同化しやすくなってしまっている、そんな感じはしますよね。

大島:確かにね。
そういう部分もあると思いますね。
阿蘇さん、どうですか。

阿蘇:そうですね。
結構、若い世代の自殺ということで、女性ということで限定できるのか分からないんですけども、やっぱり若い世代ということで、無力感というものもあるのではないでしょうか。
自分自身の経験もそうですけども、「あんまり役に立ってないんじゃないか」とか「自分は、これからどうしたらいいか」とか悩みますよね。
さらに「生きていてもしょうがないんじゃないか」みたいな、そういう気持ちが出るっていうのは分かるんですけど。
今の時代、なぜこれだけ増えて、問題になるかっていうのは、このコロナの社会事情とか、全体的な不安感ということもあるのかもしれません。

大島:確かにね、コロナがきっかけを作ったという部分は、あるかもしれないですけど、僕も自殺未遂の経験者として。
自殺しようとして蘇ってきた者として感じるのは、意外と、いじめられてもうどうにもなんなくなって亡くなる方とか、あるいは借金でもう本当に生きていけないわっていって亡くなる方って、比率的にはそんなに多くないんじゃないかと。
どちらかというと虚無感といいますか、なんとなく虚しい、なんとなく自分自身に価値がないと。
その「なんとなく」というような、『夜に駆ける』だと死神で表現されていますけれど、その「なんとなく」を処理してないと、だんだん、その「なんとなく」が塊になっていって、だんだんその塊に支配されちゃうというか。
だから、明確に何がつらいとかそういうのより、つまんないんですよね、なんか。
それで、生きている意味を感じられないというかね。
それで飲み込まれてしまう。

若い女性は、ものすごく多感な時期って言いますけれど、なんか、情報を拾いやすいんですよね、その時期って。
だからSNSもそうですし、何か、霊的なものもそうですし、いろんな情報を拾うんだけれど、結局、それ全部、掴んでいっちゃうんですよ。
片っ端から。
そして、その虚しさ、その虚無感と結びつけていってしまうのが、非常に大きいのではないかと思っています。
一つ、対策としてはといいますか、僕、やっぱり亡くなる前とか、虚しくなるような曲を好んで聞いていました。
あとは、虚しくなるような映画を好んで見ていました。
それでなんかね、その虚しさの中に浸るというか。

石原:なんか分かりますね。

大島:美しさを感じちゃうんですよ、自分の中で。
で、そういう情報に触れれば触れるほど、本当、「なんとなく虚しい」という塊が大きくなってしまうので、対策としては、やっぱり祓いとかできる人は祓いをやればいいんですけど、なるべく、そこに酔いしれないような環境を作るっていうのが大事なんだと思います。
だから、歌でもなんか明るい曲にしてみるとか、あんまりバッドエンド的な映画や、刹那的な映画は見ないとか。
やっぱりそういう情報断食というか、チョイスはすごく必要だなと思っています。

その『夜に駆ける』は、死神に取り憑かれて亡くなる様を、すごい美しく、しかも、なんかそこに永遠があるかのように描いているんですよ。
あれを何気なく聞いていると、やっぱり死神に魅入られてしまいますよ。
虚無感という死神にね。
だから、そういうものって、自分から捕まえに行くとまずいんです。
そのために、エクレルやこの記事をご覧になっている方だったら、虚無感が出た段階で「とほかみえみため」を唱えてみてほしいですね。
自分の内面を見つめるということが必要だと思うんですね。
でも、はっきり言うと、そこに美しさはないですからね。

石原:そうですね。

阿蘇:そうですね。
先ほど少し打ち合わせしたときに、今、結構テーマとして、「間」、あいだの「間」っていうことが出ました。

大島:そうですね。

阿蘇:それを、間が入るっていう意味もあるし、また、間を使って神の働きを満たすとかですね。
そういうテーマがわれわれの学びの中にはありますけども、やっぱり、どういうふうに間を捉えていくかっていうのは非常に大事ということがありますね。

大島:本当ですね。
それだけ、僕らが気づかないうちにいろんな情報に操作されているっていうのは、皆さん、気づいたほうが良いかもしれませんね。
僕、昔すごい運が悪かった時期には、やっぱり運が悪くなるような曲を聞いていました。
小学生の頃から「恨みます」とか言って、中島みゆきさんを聞いていたり。
それで、やっぱり、そうすると、なんか拗ねるモードに入りますしね。

石原:そうですね。

大島:当然、周りもそういう友達を選びますしね。
拗ねているようなやつらを選びますし、やっぱり情報ってすごく大事ですよね。
だから日々のリセットもそうですけど、なんか、みんな、自分のいる階層って心地良くているじゃないですか。
例えば、暴走族であればブンブンブンブンやってね、「世の中ふざけんじゃねえ」ってやっている人たちと一緒にいるのが楽しくて、そこが落ち着くからいるわけじゃないですか。

だから、自分が心地いいところっていうのが、客観的に見て、「本当にこれっていい場所なのか」と言うか「世の中の貢献できるような場所なのか」と、その辺をちょっと俯瞰して見ることがすごく大事かなと思っています。
だから、よくスピリチュアルなどの教えだと、「心地良い仲間といなさい」「心地いい場所を選びなさい」ということも言われますが、そんなこと言ったら銀蝿なんか、トイレの中がむちゃくちゃ心地いいわけで。
なので、「何に心地良さを見出すか」というのがすごく大事だと思います。

だから虚しさ、悲しさ、寂しさに心地の良さを見出しちゃう人もいっぱいいて。
僕も昔そうでしたけどね。
だから、それは非常に危険だぞっていうのを本当に、知ってほしいということがあります。
そういう小さなことの積み重ねがあって、ある日突然、ポーンと飛び降りちゃうというような流れになったり。
あるいは、踏切とかでね、自殺者が多いところあるじゃないですか。
でもあそこ、1日何千人、何百人って通っているんですよね。
「なんで、あなただけが惹かれるんですか」って言ったら、やっぱり普段から、寂しさとか、切なさとか、そういうのに美学というか、酔っている部分があるから、それで亡くなった方の情報と共鳴して惹かれてしまうわけじゃないですか。
だから、やはり、その辺りの情報の見極めってすごく大事だなと思いますね。

阿蘇:そうですね。
自分もやっぱり20代のときとか、本当に無力感とか、居場所のなさっていうのを感じました。

石原:そうですよね。

阿蘇:それらが非常にあって、「生きていてもあんまり意味ないな」っていうのが、だんだん強くなってくると、やっぱり自分自身でもそういうのを選べるような精神状態になったときに、母親や自分の先祖からガッと、三途の川じゃないですけど、そのような場所から戻されるような感覚があったんですよ。
それでまた、「今後じゃあどうしようか」と考えたときに、そこで初めて、結局、かっこつけていただけだと気付きました。
なので、そこから、「かっこ悪くても、この世の中で生きていく」、「見つかるか分からないけど、居場所を見つける」というような意志を立てたんですね。
それがあることで少しね、なんとなく楽になるというか、生きる意味を自分から主体的に見つけるようになってきました。
そこは、ちょっと自分の中では転換点だったなと思っています。

その後、こういった道に入ってお祓いとかやっていても、逆に、戦地に行って憑依を受けて、死にたいって思うようになる霊も聞いたりしますけど。
私もちょっと仕事が忙しかったっていうのもあったし、今までのタブーの水の研究みたいなのを研究していたときに、なんか死にたいって急に思ったことあったんですね、ここ数年で。
それで、トイレでガンガンと頭を打ちつけてしまったこともありました。

そんな時に、こういうお祓いとかをやっているんで、客観視できてるようになったんですよね。
死にたいと思っている自分を見ているから、これ死ねないなって思っている自分もいるんです。
だから、先ほど大島さんがおっしゃったように、お祓いとか客観視のトレーニングをして、どっぷり浸っている自分を見られるというのは、この学びがすごく大事だなっていうふうに思っていますね。

大島:そうですよね。
石原さんもお若い頃、死にたいなって思ったことあるんですか?

座談会の後編は12月11日(金)に公開予定です。どうぞお楽しみに!


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12 件のコメント

  • 響きました。ありがとうございます
    「かっこ悪くても、この世の中で生きていく」、「見つかるか分からないけど、居場所を見つける」というような意志を立てたんですね。

  • 曲の話とか「わっかるー」「わっかるー」と思いながら読んでいました。
    中2でサザンを好きになって、初めて買ったアルバムが当時の最新アルバム「Young Love」だったんですけど、その中の10曲目に「愛無き愛児〜Before the Storm」という曲がありまして、完全に死ぬ前の曲で、よく浸っていたんですよね。サザンは明るいだけじゃなかった、こういうのも歌えるんだなあって、世の中の偽りの明るさとは一線を画していて素晴らしいなって思っていたものでした。苦しみがこの曲で昇華できるような心地でした。
    世の中は偽りだから斜に構えて見ないと事実は分からないって思っていたような子でしたし、ずっと重苦しさを感じながら生きていました。
    ここに出会って、最近、やっとケロッと生きられるようになった気がします。

    前のわたしもそうでしたし、夫は今もそうなんですが、なんとなく死にたい気持ちに駆られるって話をしていました。どうやって死んだらいいのかとか。
    苦しいことがあるから死ぬことで苦しみから逃れたいであるとか、二人で幸せなんだけど、幸せすぎて不幸がやってくるのが耐えられないであるとか。死ねば楽になれる、幸せになれるって誤った認識があるんですよね。
    でも最近になって、夫が「なんとなく死にたいってふと思う」って言ってきた時にふと環境に影響されて、階層がぐちゃぐちゃだからかもしれないと思い、一つのふとんで一緒に寝ている時に夫の胸に手を当てて、階層が整えられますようにととほかみえみためを口パクか小声で唱えるようになりました。まだ始めて2日ほどなので効果は分からないです。夫に「どうして胸に手を当ててくれているの?」と聞かれたので、「(安心できるように)よしよししてるの(要するに撫でてるって言ってます)」と答えて、行動は受け入れてもらえたかな、と思っています。

    この記事を読んでいてもう一つ思い出したことは、「死すらも消耗品」になっている、という感想を以前に抱いたことでした。
    ホラー映画が時々流行ったり、バトルロワイヤル的なものが流行ったり、よく読んでいた週刊の漫画で前と比べて人が簡単に死んでいくゲーム的な漫画が新連載で入ってくるようになってきたなと気づいた時に、人の死すらも消耗品、刺激を満たすものとなっているのだなという気持ちになりました。
    実際に職場でも最近あったのですが、人身事故で電車遅延が起こった日の昼休みの会話を聞いていますと、なんで朝なんだろうねとか、(死ぬのを止めはしないけど)時間考えてほしいなとかいう声があって、仕事が大事であるという気持ちがあるとは言え、自分の身内ではない死への痛みがないということに気付きました。仕事柄、他者の死の知らせを聞くこともあるので仕方がない面もあるのかもしれませんが、身内以外の死が軽くなっちゃっているなって感じました。
    でも自分も含めて身内の死は怖いって思う。アンバランスな状況になっている気がします。

    後半が公開されていない中で書くのもどうかと迷ったんですが、今思ったことにも意味はあるのかなって思い、書かせていただきました。

  • 私は、51歳の女性ですが、20代の後半からずっと強い虚しさや寂しさがあり、家族といてもそれがなくならず、スピリチュアルの世界に答えを求めてもがいてきましたが、なくなりませんでした
    みえます会員になって半年間は、変化を感じられませんでしたが、とほかみアカデミーに入会して、祓い、鎮魂をするようになってから、少しずつ気持ちの変化を感じているのて、継続していきたいと思っています。

  • 若い女性の自殺の根底には、「愛着障害」も深く関与していると思います。井深大先生が昔々、「3つ子の魂100まで」とよく仰っていました。50年前は専業主婦が多くて、赤ちゃんは3歳まで母親とべったりくっついて育ちました。現在は生後すぐに保育園に預けられてしまう子が多いと思います。3歳までの感情が無意識の領域に記憶として残り、その後の成長過程で何かをきっかけに、3歳までに記憶した孤独感が…と、井深先生がご存命なら仰るだろうと思います。

    ゲームやテレビやSNSから受ける影響もあるし、肉体的には出産時の「無痛分娩」の麻酔の影響や、さらに医学の進歩により、「不妊治療」により出生する子供も、50年前とは比較にならないくらい増えています。食事と言うのか、食養学的にもコンビニのお弁当やスイーツを摂る生活も影響するだろうし、50年前に「核家族化」が指摘されていましたが、現在はさらに人間の繋がりが希薄になっています。

    電波や電磁波などの影響で地磁気が狂えば、そこに住む人間の思考にも影響するだろうし、人間の集合意識が狂えば、さらに悪影響を受けてしまう…様々な要因が複雑に絡みついた結果、自殺が増えているのだと思います。高層マンションに暮らす子供も多いのだから、人間にとって過酷な環境が増えすぎたのだと思います。激変する社会で精神や魂を保つには、先祖や神様と繋がっていることを、かなり意識しながら暮さないと、困難な時代になっているのだと感じます。

  • おはようございます。私は21歳の時に死ぬ事を選択しました。そのキッカケは当時の会社にヘッドハンティングで入社して来た上司にレイプされたからです。私は幼い頃から親というか、家を中心にした生き方を普通にしておりました。勿論、今と時代はまるで違い、終戦の最中の中国に生まれ、当時はとんでも無く日本人が憎しみの対象とされた時代です。多くの日本人が殺されました。リンチは、安全な租界を一歩離れると受けて当たり前の時代です。そんな中、本当に酷い有様の中、父が戦犯として死刑判決を受けていたので母は最後の引き揚げ船に乗るまで中国北京にとどまり、同じような運命の同胞のために、そして父の命を救うために一族郎党ヲ挙げて奮闘していたと聞きます。そのせいか、私の中で、両親の想いを裏切る行為はタブーで有りながら自分の意志で日米合弁企業に就職、少し後ろめたさを感じていた時の事件です。当然処女を汚されたのですからそのショックは死に勝るものでした。生き恥を晒し、両親に迷惑をかけられないどうすればいいか?散々考え、自然な事故に見せかけて死ねる方法は無いか、毎日、その事しか頭にありません。そんな時、私が死ねなかったというか死なずに済んだのは同期の秘書仲間でした。私を含め3人が入社したのですが、彼女達が私の異変を察知して仕事中以外、休み時間はおろか出社退社時まで必ずどちらかがピッタリ寄り添ってくれました。それでも私の中には「お前は汚れている!嫁に行けばきっとそれがバレ両親や親戚に恥を欠かす事になる!お前は生きる価値がない!お前が生きている事は人の迷惑になるという事だ」という声が聞こえるような気がしていました。その声を遮断してくれたのが二人の同期です。そんな苦しい葛藤の日々実家から電話があり、祖母が倒れ、看病する者がいないから、悪いが仕事を辞めて帰るようにという内容でした。その瞬間、私でもまだ両親の役に立つことがある!自分の幸せを捨てることが人の役に立つ事になると思ったのです。今思えば、誰かのために生きる必要があると教えられたような気がします。自殺は確かに様々な人が一度や2度は考えるものだと思います。しかし、今の若者の自殺は原因がそんなところにはないのではないでしょうか⁉️戦後のGHQによる日本人の真の精神性を破壊しようと企てられた歴史の改竄、日本の教育の破壊の中に其の原因があると思います。白川の教えの根幹は遥か昔から、語り継がれた人のあるべき姿の根幹で、幼いときから、絶えず両親、祖父母、そして周囲の大人達により、日常的に伝えられてきたもののように思います。日本人なら誰しもが当然の如く生活の中で、人の役に立ち、国の役に立つことが価値ある事として根付いていたように思います。今、若者達の中に「真の価値」「普遍的な価値」を教えられ、感じられる機会があるでしょうか⁉️表面上の美しさ、ノリの良い音楽、お金さえあれば手に入れられるモノに溢れた社会、そんな価値観、薄っぺらな価値感しか与えて来られなかった私達大人の責任ではないかと思っています。もし、戦後勇気を出して政治家や、戦争の怖さを知る人たちが逃避的選択をせず、日米講和条約締結後、然るべき期間を置いてでも自主独立を果たすために現憲法を破棄、自主憲法を成立させていたならこんな死を美化する若者達は増えないでするだかと思います。死が美しいのは、その死によって多くの命が救われるからこそ美しいのです❗️又、自分の生涯の中で誰かたった一人でもいい、その人のために生き抜いたからこそ美しく死ねるのではないでしょうか?76歳になり、来年は77歳(私は数え年を正しい年齢と捉えております)今、漸く、真の人生を生き始めております。白川の先生方にも、約束を果たせておりませんが、後しばらくの間ご猶予いただいたら、必ずお約束を果たして講師の皆様の御前に立てます。若者の自殺、特に女子の自殺には、「生きる価値」をどこに見いだせるか?自然にそれをみいだせる環境を創り上げる事で少しづつ減ると確信しております。其のために、12月から「プレママ サロン」という新たな展開の仕事を保育所に先行する形で始めました。此れからも先生方の教えをしっかり受け止め学びつつ精進いたします。長いコメントになり、申し訳ございません。多謝

  •  生を否定するような情報と集合意識との共鳴で『取り憑かれ』が起こり自殺するパターンは多いかも知れないと思いました。
     今回はお話しに上がりませんでしたが、薬も原因の一つとして多いのではと考えています。
     最近の芸能人の自殺はまさにそれだったようです。精神的な不調や産後鬱で精神科に掛かったために薬を渡され飲むことで、その副作用の結果自殺に至る場合も少なからずあると思います。

  • 先程送信した文中に脈絡の繋がらぬフレーズがあります。時折此のようなフレーズが誤って挟まれますが、どうか、賢明なな先生方のご判断で正しく読み取って頂ければ幸いです❗️

  •  死にたくなっているとき、虚無的になっている時に、そういうことを歌っている歌を聴くというのは、皆さん、やっぱりご経験があるものなのですね。
     そういう作品自体にはすばらしいものがあると思いますが、精神状態によっては、自分の状態を悪い方に増幅させますね。

    それと、大島さんの
    「よくスピリチュアルなどの教えだと、「心地良い仲間といなさい」「心地いい場所を選びなさい」ということも言われますが、そんなこと言ったら銀蝿なんか、トイレの中がむちゃくちゃ心地いいわけで。
    なので、「何に心地良さを見出すか」というのがすごく大事だと思います。」

     このご指摘は非常に大事だと感じました。銀蠅にとっては、トイレの中がむちゃくちゃ心地いいって、ほんと、そうですね。でも、人間にとって、銀蠅のトイレみたいなところが、本当にいいのかって言ったら違うわけですが、そこしか「居心地のいい場所がない」「そこしか、自分を受け入れてもらえていると感じられない」となっていると、それすら、わからなくなってしまう。

     私はクリスチャンですが、虚無的な精神状態になった時に、キリスト教式の祈りが全く効果がないのを思い知りました。というか、祈っているそばから、むなしさが増していく気持ちになりました。一ヶ月ぐらい前にも、久しぶりにそんな状態になりましたが、「とほかみえみため」で、数秒で元に戻れました。

  •  最近、10個下の子から、「どうしようもなく不安なんです」と、相談を受けました。

     出会って10年ぐらいになる女性で、結婚前も、結婚してからも、自殺に精神状態が傾きそうになる度に、話を聞いてきました。

     多少、そういう状態の人に言ってはいけない言葉とか態度というのは学んでいたので、励ましや叱責はしませんでしたが、何をどう言っても、彼女には響かないのがわかっていたので、途方に暮れることもありました。

     最近、相談を受けた時は、「これは彼女のご先祖様たちに何とかしてもらうしかない」と思って、「とほかみえみため」を伝えました。「ご先祖様、微笑んでください」という意味と一緒に。それで、少しは持ち直したようです。

     武器というと語弊がありますが、「とほかみえみため」は本当に苦しんでいる人を、即座に救う言葉だと感じました。

     座談会の一回目が「若い女性の自殺」「若者の自殺」というのは、私は良い選択だと感じました。

  • 自殺を考えてしまっている方には、どうか自殺しないでくださいと、叫びたいです。
    私ごとですが、ひいおじいさんと、おじいさんが、二人とも自殺で亡くなりました。二代続けて自殺。。。これは、わたしは、明るく明るく生きていかなくちゃならないなと、決意する、そんな出来事でした。
    ひいおじいさんの亡骸は、わたしの母が見つけて、腰を抜かしたと、怖かったし驚きで、思わず叫び声を上げたと聞いたことがあります。誰かが、自殺した人を見つけて、びっくりしちゃうし、怖いと思うし、迷惑かけるとも思います。
    いずれ肉体は無くなるのだから、自殺しなくても必ず誰にでも訪れるのだから、どうか、自殺しないでくださいと言いたい。そういう人がいたら、相談相手にありますよ、とか思っちゃいます。一線を超えてしまう方は、もう相談しようとか、そういう考えはとっくに通り越してしまっていると思うのですが、なんとかなりますから、死なないで。自殺は殺人と同じだと聞いたことがあります。人殺し、したいですか?したくないよね❣️
    自殺したご先祖さまもふくめて、とおつみおやのかみになっていただきたいと思い、とほかみえみため唱えています。
    とほかみえみため、鎮魂 祓詞 出会えて良かったなぁ。他の人にもたくさん広めたいと思っています。