「網羅」は、「神」に通ず。

その他

皆さん、こんにちは。
浅子雄一郎です。

近所では、だんだん(暖暖)と
桜の花が満開を迎えてきました。

皆さんのお住まいの所は、
いかがでしょうか^^

今あらためて、グループ内では
「網羅」していくことを
大切にしています。

「網羅」というものは、
大切なことをたくさん
私たちに教えてくれます。

「網羅をすると、
どんな良いことがあるの?」

そう不思議に思われる方も
いらっしゃるかもしれません。

網羅をすることによる恩恵。

その一つに、
「偏りがなくなる」ことがあります。

「悟り」とは、
「差が取れること」というお話を
以前、お届けさせていただきました。

一つのもの(自分)、あるいは
その周りのもの(他人)など、

認識できる範囲にだけ
焦点が当たっていますと、
それぞれの間で
「比較」が起こりがちです。

それによって、不幸を感じたり
焦りを覚えたり、不安になったり。

一方、全体を網羅していくように
もっと広い範囲を見渡してみますと、

宇宙から見た地球、
あるいは地球から見た月が
デコボコせずに平らかで滑らかな
球体として見えるように、

「差」がないゆえの美しさ、
調和、平安、安寧、癒しに
出会うことができます。

たとえば、瞑想でも
天地自然と人がつながっていることを
体感することで、

自らと周りとの間には「差」などない
ことに気がついてきます。

そうして意識の「偏り」が
なくなってくることで、

人間関係が好転したり、
楽に生きることができるように
なったりするのですね。

しかし、ここで一つ
気をつけなければいけないことが
あります。

それは、瞑想で目を閉じることで、
自分の世界に入り込んでしまい
「偏り」が生じてしまうことです。

また、すでに意識に偏りのある状態で
瞑想をする場合、その偏りが
自分の世界の中で肥大化してしまわない
ように十分気をつける必要があります。

(偏りのある状態でこのことに
注意するのは、至難の業です。)

その点、白川に伝わる鎮魂は
優れていることを、常々思います。

鎮魂では目を閉じずに
半眼で鎮魂石を見ることで、
自分の世界だけでなく、
常に外側の世界の情報が入ってくる。

つまり、自分だけの世界に
良い意味で入り込みにくいのですね。

そして、鎮魂石は
ただの石としてではなく、
「宇宙」として見つめます。

鎮魂をすることで、
宇宙全体を「網羅」しているのです。

鎮魂石の形自体も、
先ほどの遠くから見た地球や月のように
デコボコしていない、
丸く、滑らかな球体ですね。

決して「偏り」を起こさず、
「平」「安」「清」「明」をもたらす
要素だけで出来ていることに、
ただただ畏敬の念を感じます。

ここに「祓い」があれば、
なおさら偏りのない平らかな状態で
鎮魂をすることができますし、

「祓い」においても、あらゆる罪穢れを
列挙(網羅)して、それらを根の国底の国
に吹き送るということをしますので、

「網羅」するという意味でも、
祓いと鎮魂はセットであることを
つくづく感じさせていただいています。

でも、「これが鎮魂だ」
「これが祓いだ」となってしまいますと、
それも、一つの「偏り」。

「慢心しない」という教えもまた、
「偏りを生じさせない」ことに
つながっているのですね。

そして、網羅することによる恩恵は、
偏らないことだけではありません。

偏らないからこそ、
立ち上がってくるものがある。

つまり、「意志」を
そこに発見するわけです。

たとえば、私が以前ハマっていた
音楽を例にしますと、

ステージで演奏しているとき、
自分の演奏にだけ集中しているときと、
周りに注意を払っているときでは、
その演奏の違いは歴然としています。

その場の音、空気、振動、匂い、光
お客さんの表情、雰囲気、心の動き
その日の天気、湿度、

あるいは地球の反対側で
起こっていること、
宇宙、音楽の神・・

そうして意識を広くもつとき、
言わばその網羅されたところから、
自然と何かが立ち上がってくる。

そこで引き出されてくる音こそ、
大きなエネルギーをもって
人の心を震わせます。

これは、「意志」というものに
非常に通じるところがあると思うのです。

「網羅」すること。

それは、「自分」という枠の外が
在ることを教えてくれます。

それによって、それまで
気づかなかったことに気づいたり、
思ってもみなかった才能を発見したり、
驚くような能力が開かれたり・・。

「とほかみえみため」という言霊も、
宇宙の根源神から、言葉の神など
あらゆる神々を網羅する言霊ですね。

一つの奇跡を求めずに、
すべてを淡々と、網羅すること。

それこそが、
本当の奇跡を生むのだと思います。

日本は四季を通じて、
いろいろな季節を網羅できる
自然豊かな、素晴らしい国です。

そんな国に生を受けているのですから、
楽しさも、喜びも、悲しみも、悔しさも。

いろいろな感情を網羅して、
いろいろな経験をして
丸い魂(たま)をつくり、

その丸い器に神をお迎えして、
人生を全うしていきたいものです。

本記事が、「網羅」の大切さに
より一層心が開かれる
きっかけとなりますように。

少し長くなってしまいましたが、
ここまで網羅の御心でお読みいただき
ありがとうございました!


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