【エクレル講師座談会 vol.12】皆さんからのご質問にお答えしました(前編)

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好評をいただいているエクレル講師陣による座談会の第12弾をお届けします。

今回も大島さん、石原さん、阿蘇さんの3名で、
新たに皆さんからいただいた質問にお答えいただきました。

大島:皆さん、こんにちは。
今日も大好評をいただいている質疑応答のコーナーをお届けします。
石原さん、阿蘇さんの3人で、エクレル、みえますに届いたご質問にお答えしていきます。
まずは、こちらのご質問です。

「とほかみえみため」を40回を唱えることは祓いの効果なのか、鎮魂の効果なのか、どちらの要素が強いのでしょうか?

大島:というご質問です。
石原さん、いかがでしょうか。

石原:「とほかみえみため」に関しては、祓いと鎮魂の両方という所があります。
原則は三種の祓いということで、祓詞ですので当然、祓いの効果があります。
ただ、遠津御祖神とつながるというところが大きなポイントで、それは、取りも直さず、そのまま鎮魂なわけです。
ルーツにつながるのは鎮魂ですから、鎮魂の効果も十分ありますよね。

大島:阿蘇さん、どうでしょう。

阿蘇:『とほかみアカデミー』の講義では、某柳田プロデューサーが「鎮魂が一番だ」「祓いが一番だ」って、我々を競わせようと仕向けていますが(笑)。
その講義の中でもちょっとお話ししましたが、「とほかみえみため」には、全部入っていると言えます。
「とほかみえみため」自体、言霊でもあるし、その言葉によって鎮魂されますし、祓詞でもありますし。
もともと我々の存在、つまり生命というものは、瞬間に祓いと創造という現象が常に行われています。
これは、「とほかみえみため」を言わなくても、常にしているわけなんです。
それを自覚をもたせた上で、ご先祖様、そして自然の五行の神からっていうふうに、順番で生命のシステムとして言葉によって機能させるというのが「とほかみえみため」になります。
なので、祓い、鎮魂、言霊、全部なんです。

大島:僕も、「とほかみえみため」をお伝えし始めた頃に、銀座にサロンがありまして。
そちらでメディテーション(瞑想)のクラスをやったときに、鎮魂の前に「とほかみえみため」を40回唱えてから鎮魂するという流れでやっていました。
ですが、「とほかみえみため」を40回唱えているうちに鎮魂されちゃうんですよね。
ですから、その後、鎮魂しようとすると、「もう、『とほかみえみため』のときから既に鎮魂されていましたよ」って、参加者の方が結構おっしゃっていました。
やはり、効果としても、両方兼ねているなと実感しています。

阿蘇:さらに補足させていただきますと、その時の課題に対して、「これは鎮魂である」とか「これは祓いである」とか、テーマ決めると、よりその部分を意識しやすいと思います。
やっていくうちに同じと気付くわけですが、最初からそうはいかないと思います。
なので、「これは祓いですよ」「祓いのために唱えている」「鎮魂のためにしている」として行うことが必要なんじゃないかなとは思いますよね。

大島:最初の意志を明確にするということですね。

阿蘇:はい。
「今は祓いの効果が強く出ている」という言い方もできるので、特に最初のうちは、「全部できる」って言っちゃうと、逆に分かりにくくなるところもあるかもしれません。
なので、逆に分かりやすくするために分けて考えるということもできます。

大島:確かにそうですね。

石原:特にそれ実感したのは、やはり父を見送ったときです。
目の前で亡くなっていくときに、自然に、鎮魂のために「とほかみえみため」を行いました。
そうすると、父も鎮魂されていくんですけど、ご先祖とつながっていくような感覚が、あのような一種の極限みたいなときは、すごく明確に現れると実感しました。
こちらの意志は大きいと感じる体験でした。

大島:結論を申し上げますと、究極の言霊なので、全て兼ね備えているけれども、使用する前に意志を持って、これは鎮魂である、祓いであるっていう意志を持って行ったほうが、より明確に、その作用が出てくるということですね。
では続いてのご質問に移ります。

「とほかみえみため」を唱えるときに、何か意図したほうが良いのでしょうか?

大島:というご質問です。
石原さん、いかがでしょう。

石原:特に意図はいらないですね。
唱えていれば、叶うべきものは自然に叶うということはあると思いますね。

大島:阿蘇さん、いかがでしょう。

阿蘇:原則としてはないんですけども、やはり何かあったときに、唱えたくなるっていうのは当然あると思います。
そういったときには、例えば、身に危険があったときに唱えるとします。
そういったときは、唱えている途中はあんまり意図を強く念じ過ぎないというか、「とほかみえみため」に集中したほうがいいことがあります。
意図を持っても持たなくてもいいのですが、唱えている途中は意図を強く思うと感情がくっついて重くなってしまうのでそれは氣をつけた方がいいと思います。

大島:「とほかみえみため」自体はやはり空であるとか、それに近い状態のほうが発動してきます。
なので、意図を持つにしろ、唱える前にちょっと意図を持っていただいて、唱え始めたらそれを忘れて、「とほかみえみため」に集中して、できるだけ空に近い意識状態で唱えるというのがベストですよね。
それでは、今回のご質問はここまでとさせていただきます。
また次回も引き続きご質問にお答えしていきます。
ありがとうございました。

石原:ありがとうございました。

阿蘇:ありがとうございました。


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