日本の叡智を融合することで世界の本質がわかる/内海さんインタビュー【前編】

その他

内海昭徳

株式会社ロンズデーライト代表取締役
neten株式会社客員研究員

筑波大学で国際関係学、京都大学大学院で政治哲学・社会経済学を専攻。
9/11テロを機に、人間の根本的な意識進化の必要性を感じ、大学院を中退。
世界の真相と人間の意識の本質の探求を深める中で、メタ認識次元の叡智を掴み、科学と悟りの知恵を融合した人間開発と社会変革に長年取り組む。
北米への事業の新規展開を担う過程で、2018年サンフランシスコで開催されたwisdom2.0に日本人初のエントリースピーカーとして登壇。
シリコンバレーを中心に、テクノロジーの進歩と並走できる宇宙の普遍的真理の社会実装ニーズの高まりを予見し、独立。
コンサルティングや組織研修、講演会、リトリート、ワークショップなど様々に取り組んでいる。


こんにちは、
「とほかみProject」プロジェクトチームの平井です。

本日は新企画「エクレル講師陣インタビュー」
最後を飾るのは内海さんです。

今まで詳しくは語られてこなかった、
エクレルの先生方がどのような経験を積まれ、
どのような出逢いから、白川の道を歩まれたのか。

今回も、ベールに包まれた先生方の過去に迫りました!
どうぞご覧ください。

講師=内海さん
インタビュアー=平井

お父様の影響で国際政治に興味を持つ

平井:まず『エクレル』のプロフィール見させていただいて、筑波大学や、京都大学の大学院で国際関係学や政治哲学・社会経済学というのを専攻されていたと拝見しました。
学生時代からずっと、国際政治とか、経済とかに興味はあったんですか?

内海:はい、興味はありましたね。
自分のバックグラウンド的な話になりますけど、父親の影響が大きいなと思います。

内海:『エクレル』のコラムでも以前書いたのですが、うちの祖父母が、戦前日本が統治していた時の台湾に渡って、20年か30年ぐらいずっと暮らしていたんですよ。

それで父は台湾で生まれ、台湾で育ち、6歳の時に終戦を迎えているんです。

ご存知のとおり敗戦で、日本は台湾から出て行かなきゃいけなくて。

父も小さい頃で、台湾も空襲を受け、戦争に負けて日本に帰らないといけなかったというのが、原体験的なことなのかもしれないですけど、ずっと心に残っていたそうなんです。
それの影響もあって、歴史とか政治とかいうものにずっと関心があった人なんですよ。

僕が子どもの頃、父の部屋が一面全部本棚だったんですが、壁の四面全部本棚で、子ども心にそういう所で遊んでいると、いろんな本のタイトルや背表紙見るじゃないですか。
そうなると、日本の歴史のこととか、政治のこととかいろんな本があって。
そういうので知らず知らずに関心を持ち始めたんでしょうね。

平井:なるほど。

神道を身近に感じながら育つ

内海:あと、人間の本質、という側面でいうと、両親がそういうことにずっと関心が深くて、神道や仏教、キリスト教や、今でいう精神世界系の本なんかも色々とあってですね。

父は毎朝祝詞を上げていたし、毎朝お榊を替えて、神棚に手合わせてお祈りしていました。
子どもの時、親が神棚で手を合わせていたら、マネして一緒にやるようになるんですよね。

それで合掌して瞑想するようなことを、全然本格的にではないですが、小っちゃい頃からやっていたんです。

平井:昔から親しんでいたんですね。

内海:そうなんです。
そういう個人的なバックグラウンドがあって、神道的なものっていうのと、歴史とか政治とか経済っていう、本質と現実の両軸が、もともと小さい頃から身近にあったっていう感じですね。

それで進学する時に、総合的に、外交史や安全保障、国際経済、国際開発、国際法など、いろいろ全体的に、自由に学べそう、ということで、大学を決めました。

ちなみに、少し話が戻りますけど、父が戦争に負けて日本に戻ってきて、子ども心に「負けた悔しさ」とか、「何で負けたんだろう」とか、「あの戦争は何だったんだろう」とかずっと思っていたらしいんです。

昭和のあの時代の世代的にも、父の中では、日本の近代史、とりわけあの戦争前後で日本はどう変わったのか、そして、もともと日本文明の本質とは何なのか、といった探究心が深くて。

私の問題意識もそこから派生したような感じで、日本の近現代史、戦後の日米関係などへの興味から、より広い20世紀の国際関係史ってどうだったんだろう、と。
その中で、「日本はどうあるべきなんだろう」っていうのが、一番問題意識としては中心で持ち続けているものですね。

平井:なるほど。

内海:そういうことで、分野としては政治思想とか政治哲学とかって呼ばれるんですけど、日本とは何ぞやと、日本らしい国柄、国体を基にした日本らしい民主主義のあり方とか、日本らしい社会体制のあり方とか。
そういったことを、どう確立して、自立した国にするべきなのかという。
そういう問題意識でやっていたんですね。

平井:なるほど、なるほど。
そこから、テロを機に大学院にも進まれたんですか。

9.11のテロをキッカケに人生が転換

内海:そうそう。
そこから、一気に私の人生が、アングラな方にいくんですけど。(笑)

内海:大学院に入った年の秋に911テロがあったんですけどね。
政治外交史っていうのをやって行くと、人類の歴史は戦争ばかりなので戦争の話になるんですが、いわゆる謀略とか諜報とか、外交的な騙し合いとか、そんな話がいっぱいあるわけです。

表立って出て来るメディアの情報や外交などの裏で働いている、作為的なものも沢山あるのではないかと。

そういう裏側からも見ないと、歴史の真実は結局分からないのではないかと思っていたので、学部の時から関心はあってそういう分野の学びもしていたのですが、大学院もその延長で。

それと、僕が大学院に進んだのが2001年なんですけど、ソ連が崩壊して10年経って、アメリカを中心とした、いわゆるアメリカングローバリズムっていう資本主義のあり方が、世界と日本を幸せにするのかっていう時代的な問題意識があって。

そういうことをひっくるめて根底的に、911をきっかけに、経済システムも含めた文明のパラダイム全体の行く末というか、方向性について、何からどう変えたら良いのかっていうのをよく考えたりしてました。

平井:『エクレル』にも書かれていたと思いますが、そのくらいのタイミングで『とほかみえみため』は知っていたのでしょうか?

内海:そうです。その後なんです。

9.11に関しては、その後、あっという間にアフガニスタン侵攻が始まったんですね。
ちなみにその2年後にはイラク戦争が始まり、「大量破壊兵器を隠しているだろう」ということで戦争になったわけですけど、最終的には大量破壊兵器がなかったのは明らかにされたんですよね。

ですが当時は現在進行形で「対テロ戦争」の流れだったので、これはなんか、違うんじゃないかと。

まあ、911以後、研究室でもちょっとそりが合わなくなってしまってですね。
色々ご迷惑をかけることにもなったんですが、自分の中の結論として「こりゃもう駄目だ」ということで中退してしまったんです。

カッコつけて言うと、学問とは何なのかという話を考えた時に、あくまで真実を、本当に真摯に探究して、それをもってこの実社会がより幸せに、豊かになるように貢献するべきものであるなら、真実というものを本当に直視しないのであれば、それは学問としての意味を成さないだろうと。

平井:なるほど、なるほど。
それで、その後どうされたんですか?

内海:中退したあとは、フリーター時代が一年以上続きます。
必要最低限のお金は当然働かないといけない訳ですけど、とにかく、自分なりにあれこれ読んだり調べたり、考えたりする自由な時間が何より欲しくて。

当時、池袋に二万円の家賃で古い六畳一間を借りましてね。
学生中退して奨学金返済背負ってのフリーターなので、お金はほんとになかったです。

トイレは共同、風呂場は無しなので、夏場は近くの公園の水道で体洗ったりして済ませてた時もありました。(笑)

そんな生活の中で、色々とアンテナを広げている時に、白川伯家神道というものがある、というのを知ったのです。

平井:そういうことだったんですね。

テロや戦争の歴史を繰り返さないためには 人間の意識の拡張が必要

内海:ええ。
テロや戦争、歴史や文明、人間の本質といったことを考える中で、根本的には人間の意識が深く、広く、拡張しないといけないのではないかと。
そうではないから、今までずっと、このような歴史が繰り返されてきたんじゃないかと思ったんです。

内海:その探求の中で、心理学や哲学、仏教、老荘思想、量子力学などにも触れるようになりました。
あとは、国学とか神道もですね。
「人の意識の次元を高めるためのものとして、何が一番いいんだろう」ということを考えていたので。

その過程で、小笠原孝次という人が書いた本がある、という情報にも出会ったんですよね。

でも当時、今読める小笠原先生の『言霊百神』の本も、まだ出版されていなかったんですよ。
この本は2014年に七沢賢治先生が出版されたものなので。だから当時は情報だけはあっても、それらが書かれた本もないし、学ぶ手段が何もなくて。

それと、当時の自分の一つの見解としては、一般的な神道・古神道だと、「エッセンスは良いけど、日本を超えて世界に持っていくには抽象度が高すぎるし、神名とか独特過ぎてむつかしいな。」っていう感じでした。「すごく良いのだろうけど、これは一般的な社会に役立てるものとしては、なんかちょっと遠いな」と。

平井:なるほど。

内海:他にも人の意識の本質を探求していると、単語として例えばそれこそ「空」とか、「タオ」とか「ワンネス」とか、そういうのになるわけですよね。
「サムシング・グレート」とかね。

それも確かに、単語としては分かる。
でも分かるけど、知識として分かることと、自分自身の感覚を超えたある種の境地としてそれを掴むっていうことは全然違う話なので。
「そこの一線が越えられないな」ということを1、2年ずっと考えたりしていました。

平井:そうだったんですね。

内海:その後は、ちょっと長くなるので端折りますが、縁あって、探求の中で自分なりに納得のいく答えを掴むことができるようになりまして。

こういうことに関心がある方々向けに、セミナーや講座、講演会などを日本各地で開催する仕事を主にしていました。

悟りと科学と、両方の本質に融合される、メタ(高次)認識の次元が、日本の精神性の深いところに直結することがよくわかってですね。
2015年くらいから、アメリカで何かできないかと、北米展開を模索するようになったんです。

平井:なぜアメリカだったんですか?

内海:アメリカは、色々と言われてはいますが、各分野で現代文明を最先端で牽引していますから。
その国に、人間の普遍的な叡智であり、日本の精神性の核につながる世界を伝えに行くのは、意義があるだろうと。

もっともアメリカ進出は完全にゼロからでした。
人脈もないし、大して英語もできないし。
でも、少しずつ方向性が出来てきて、2018年に「wisdom2.0」っていう、マインドフルネス関係の世界最大のイベントで、スピーチする機会もいただけたんです。

そこからアメリカ西海岸で、Googleのマネージャーなんかも参加してくれるような場で、ワークショップができるようになって。
すごく反応も良かったんですよね。

「日本の精神性の深さっていうのは、素晴らしいね」というようなことを海外の人も言ってくれたのは、嬉しかったですね。

会社設立と時を同じくしてnetenへ

内海:それから独立して、自分の会社を興しました。
ちょうどそれと同じタイミングでnetenグループとご縁があったんです。

平井:netenグループとの出会いには、どういったきっかけがあったんですか?

内海:たまたま、意識開発とかいうものに関心持って取り組んでいる大学や民間の研究者、事業家なんかが集まる勉強会があってですね。
私もご縁があって、お声がけいただいたので、面白そうだなと思って参加して。
そこにnetenの方がいらして、そこで初めて、その存在を知りました。

そこでお互いの取り組みを話していると、自分が考えてきたこと、やってきたこととの親和性が、「おおっ」っていうものが色々あって。

例えば、「日本の神道の深い叡智が、これからすごく大事なんだ」とか、「5次元っていう世界が、これからどんどんスタンダードになっていくんだ」とか、例えばですけど、そういうような話で、面白いなと思って、「こんな会社が、日本にあるんだ」っていうところから興味を持ち始めました。

そこからさらにいろいろお話ししていて、「netenの本社が甲府にあるから、1回よかったら遊びに来ませんか」って言っていただいて。
面白そうだったので「行きたいです」って即答して、その翌月の確か1日でしたけど、すぐ遊びに行ったんです。

それでまたあれこれ話したりしている中で、ご一緒できるところがあると思うので、というお声がけを頂いて、netenグループの取り組みに参画させていただくようになりました。

内海さんが感じた「netenグループ」と他の神道との違いや、内海さんが注力している取り組みについては後編で!

後編は12月4日(金)公開予定です!どうぞお楽しみに!


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