内側と外側を統合し、世界平和を実現する/石原さんインタビュー【前編】

その他

石原政樹

禅僧の祖父の影響で、子どもの頃から禅や各種瞑想に親しむ。20代後半、10時間を超える瞑想中にエネルギーが覚醒、一切の存在と融合するという神秘体験をする。
その後、少林拳、少林武術、太極拳、古武術、レイキ、気功、気導術、ヴィパッサナー、肥田式強健術、等を学ぶ。崇山少林寺では14代館長釈永信管長より、動功の免許を拝受。
現在はneten株式会社顧問・白川伯家神道を継承する一般社団法人白川学館理事を勤める。
祓い・鎮魂・言霊・netenテクノロジーこそが時代のあらゆる局面を解決できる鍵であることを実感、その普及に尽力している



こんにちは、
「とほかみProject」プロジェクトチームの平井です。

本日は新企画「エクレル講師陣インタビュー」第二弾として、
石原さんのインタビューをお届けします。

今まで詳しくは語られてこなかった、
エクレルの先生方がどのような経験を積まれ、
どのような出逢いから、白川の道を歩まれたのか。

今回も、ベールに包まれた先生方の過去に迫りました!
どうぞご覧ください。

講師=石原さん
インタビュアー=平井

剣道をキッカケに普遍の教えに興味をもつ

平井:今回のインタビューは「とほかみProject」に参加してくださっているみなさまに、先生方のことをより知っていただこうと思って企画をさせていただきました。
ベールに包まれた先生方の過去のお話も聞いていきたく思いますので、よろしくお願いいたします。

石原:よろしくお願いします。

平井:まず、この白川と出会う前のお話しをお伺いさせてください。
石原さんのプロフィールを拝見すると、お祖父様が元々、禅の僧侶とありましたが、幼少の頃はどのように過ごされていましたか?
毎日、瞑想などをされていたのか、ということなどもお伺いしてもよろしいでしょうか。

石原:瞑想は毎日やっていたわけではないんですけど、座禅合宿に参加するところから始まりましたね。
小学校の頃などは外で遊び回るのが好きでした。
サッカーに熱中して、市の大会で2回優勝し、山口県大会で優勝したこともありました。

中学生になってからは、剣道を始めたんですね。
小学校の頃、それだけサッカーに熱中をしていたにもかかわらず、辞めてしまったんですね。
なぜ、辞めてしまったかといったら、わりと完璧主義で極端な右利きだったので右足のボールコントロールは得意でしたが左足は全然ダメで、「これじゃあ、オリンピックで金メダルとれないな」と思って辞めてしまいました。

平井:「オリンピックで金メダル」とは、目標が高いですね。。。

石原:ええ、極端な性格だったんですよ。
ブラジルのペレやメキシコオリンピックで銅メダルをとった日本のエースストライカー、釜本選手がヒーローでした。
その時は、まだJリーグもなかったので。
そういう中途半端なレベルだとダメだと思って、剣道を始めました。
その頃から、だんだん座禅や瞑想に真剣に取り組むようになったんですよね。
やっぱり剣道をやっていると、メンタルと肉体の関係というか、技の奥の心が重視されるところがあって。

平井:その頃から、メンタルと肉体の関係に興味があったんですね。

石原:これも凝り性を発揮して学校の部活だけじゃ物足りなくて、町の道場にも通い剣道に凄く打ち込むようになりました。
しかし非常に大事な試合の前になると緊張して、お腹痛くなったり、色々とナーバスになっていました。
竹刀の叩き合いでもこんなに緊張するのに、「昔の切り合いをやってた頃の、本当の剣術家達は、どうやって精神のバランスを保っていたんだろう」というところに非常に興味が出てきて。
それで真面目に座禅をやったり、家で自主的にそういう心身統一の色んな方法を本で見ては試したり。お年玉をはたいて、ビートルズもやっていたっていうTM(超越瞑想)を習いに行ったりとかしていました。
他にも気功や中国武術等、色々と試していました。

平井:剣道は、高校でもずっとされていたんですか?

石原:そうですね、学生時代ひと通りやっていました。
でも、高名な武術家の先生がいらっしゃるんですけど、その人達の動きを見ていると、今の剣道がスポーツ化しているのが段々分かってきました。ちなみにその高名な方々が七沢研究所に頻繁に通っていたことを後で知って驚きました。
目の前の勝負にこだわって、本当の体の動かし方とか、人生全般に通用するような心の持ち方は、教えないんですよね。
そのようなもっと普遍的なところを体得したいと思うようになりました。

平井:目に見える「勝負」の奥にある世界を見たいということですね。

石原:それから、日本の古武術や少林拳や太極拳をやり、実際中国に嵩山少林寺を学びに行って、動功(動いている気功)の免許をもらったりとかということを、社会人をしながら実践していました。

他にも無理して有休や正月休みと繋げたり、ゴールデンウィークと繋げたりして、禅寺に長期籠もったりしていました。
部下にもよく「なんか納得できません」とか「何で石原さんだけそんな長く休んでいるんですか」と言われていました。
「今、僕は禅寺に入らないとダメになる気がするんだ」とか言っていましたが、全然理解されていませんでした(笑)。

平井:確かに、なかなか理解されないような気がします。(笑)

石原:さらに心身を鍛えるために居合刀っていう、日本刀の切れないようにちょっと刃引きしたものを持っていて、長いので腰に差せないから背負って会社に行ったりしていたんです。
さすがにむき身だとちょっとまずいんで、上州屋の釣り竿入れに入れて、自分のデスクの下に刀を置いて仕事していたんです。
仕事が終わったら、刀を抜く、いわゆる抜刀術をやって、呼吸とか丹田とか、姿勢とか精神とかを統一するっていうのを10年以上やっていたりですね。
それらを並行してやっていました。

ビジネスの現場で「気の力」を検証する

平井:勝負を超えた世界を追究されていたと思うのですが、当時はどのようなお仕事をしていたのでしょうか?

石原:以前、大手の金融機関にいたんですけど、「気の使い方」みたいなことを学んだのは、ビジネスや、お金のやりとりをする場で、精神統一や気功が本当に使えるのか知りたかったんですよね。
「もしそういう気の力が本当あるんだったら」と気になっていたんです。

平井:なるほど。面白い!

石原:よくテレビとかであるような、人を飛ばすとかスプーン曲げるとか、そういうことはあまり意味ないなと思っていました。
お金を扱うという現場で、どれくらい気というものが使えるのか?というところに興味があったんです。
大手の金融機関で、融資やリースをしている上場企業に勤めていて、そこの法務にいました。

平井:そうだったんですね。

石原:ホストコンピューターに融資した企業情報が毎日バンバン入るわけですよね。
「ここは手形が落ちなかったから、即まずい」、「取引先が倒産しているから連鎖の危険性あり」、そうした膨大な企業情報がずっと入ってくるんです。
そこですぐに該当の会社の社長に連絡をして、決算書3期分送ってもらうのですが、だいたい酷い債務超過で、赤字なんですよ。

そうした状態になってはいるのですが、もう海千山千の社長なので、お金を踏み倒そうとしたり、現実的に債務だらけでお金がないということが多々あったんですね。
未払いの税金、頑張ってくれた従業員の支払いを優先して、外部の融資は踏み倒したいと。私がいたような上場企業は、企業のCSR(社会的責任)があって、強引な、脅すような取り立てはできないので、やはり礼儀正しくしなければいけませんでした。
負債を抱える経営者は追い詰められていますので、「お金が無くなると、人はこんなに変わっちゃうんだ」っていうような人が結構多かったんですね。

平井:人間のあらゆる面が出てくるわけですね。

石原:地方のわりと老舗の経営者や地元の名士だと思われる方々が脅迫まがいのことを言ってきたり、嘘をついたり、電話を叩き切ったり、怒鳴りつけたりとか色々とありました。
ですが、そういうときに、今の鎮魂に通じる「意識の一点」と言いますか、気の力のようなものを活用しようと思いました。

平井:そこにつながるわけですね。

石原:脅してくるような方は、向こうは向こうで荒れ狂った状態なんです。
だけどその奥には、本当はその人の中にも静かな心の世界があって、自分の中にも本来そういうものがあって、その心の象徴としての鎮魂石みたいに、一点を意識して、そこでお互いが本当の意味で理解し合えていると意識して対応しました。
実際は罵声を浴びているんですけども。そして、呼吸で心を整えて、体を緩めながらですね。
緩めることを気功で「ファンソン」と言いますが、ファンソンしながら話を聞いていました。
結局、電話は叩き切られるんですけど。

平井:それでどうなるのでしょうか?

石原:でも、その後またしばらくして、その社長から電話があって「お借りしていたもの全部お返ししましたから」と言われたんです。
「さっき振り込みました」という電話があってですね。
それが1件だけじゃなくて、もう何件もくるんです。
私が対応した人だけくるんですよ。
何件も途切れずに。だから周りからは凄く不思議がられて。
そうした体験を通して、気の力と言いますか、人は何か深いところで繋がっているということを実感しました。

平井:ええ!そんなことがあるんですね!
まさに祓われたんですね。
大手金融機関で働かれた後は、どのような道を進まれたのでしょうか?

七沢代表との出逢い

石原:もっと世の中の役に立ちたいと思い、学生時代から憧れていた、「ビジネスと深い世界の融合」をテーマに本を書いていた船井幸雄さんが、グループ内でベンチャーを立ち上げるという応募を見たんです。
ちょうど「何かもっと社会の役に立ちたい」と思っていたので、そちらに籍を移して10年間いました。
そこは「ビジネス・事業・経営」と「気の世界」の解明をするような経営者だったり、お医者さんだったり、気功のプロだったりとか健康のプロだったりっていうのが沢山いて、そこで凄く学びになりました。

平井:そうした軌跡があったんですね。

石原:そこでも最初はちょっと慣れなくて、自分の担当エリアは2ヵ月ぐらい売上げ0で、辛い時期もありました。
でもやはり、さきほどのような心持ちで、日頃歩いていると、なぜか急にガーッと売上げが上がり始めたんです。
だから後輩からも「神業ですね」って言われたりして。
担当の店の売上げが前年比400%とか、1400%上がったこともありました。
もともとがいかに売れていなかったか、ということですけど(笑)。
だから、気の力に納得するところがありました。

平井:すごすぎます。笑

石原:そうした体験から、「実務で地に足をつけて、気の世界も活かすことは可能なんだな」と思いました。
ただ、私たちは言葉を交わしてコミュニケーションしていますけども、その一瞬一瞬に、もっと有効に作用するものとか、もっと心身が統一された心地よさを味わえるものってないのかなと思ったんですよね。

平井:さらに追究をしたいと思ったんですね。
もう少し詳しくお話を聞かせてください。

石原:例えば、気功をする時は気功の時間をとる。
座禅する時は座禅する時間をとる。
その後、普通に仕事をして、また寝る前に座禅をやったり、呼吸法をやったりと、分断されているんですよね。
確かにさきほどみたいに、空間の一点を意識してとかそういうのはあるのですが、言葉を介したものって何かあるんじゃないかなっていう感じがしていたんです。

平井:さらに、「その先がある」ということですね。

石原:今、世界的に大流行している「マインドフルネス」がありますが、当時はまだそういう名前もなくて。
テーラワーダ仏教、元々スリランカとかタイとかから出た「ヴィパッサナー瞑想」がアメリカに行って、「マインドフルネス」に変わったんですけどね。
マインドフルネスが流行する20年ぐらい前に、スリランカ、タイ、ミャンマーのお坊さんから色々と教えてもらって、そうした方が開催する長期の合宿にも、有給休暇をとって行ったりしていました。
心身の感覚を研ぎ澄ませるという点では勉強になりました。

平井:もう少し詳しくお話を聞かせてください。

石原:でも「まだ何か足らないな……」と思って20年ぐらい悩んでいたところ、七沢代表に出会ったんです。
船井会長が「天才がいる」と、グループの人間に言い始めたんです。
「その天才は、七沢賢治って言うんだ」って言い始めました。
話を聞いたら、神道などに精通していて、言霊とかそういうのに詳しくて、波動器も開発してて、なおかつトヨタとかマイクロソフトとか、そのような大手と組んでソフトの開発など、ビジネスの全体を全部、総合的にできる達人みたいだと言うのです。
ちょうどその頃も本も出て、それを見たら色々なビジネス上の概念とかも綺麗に美しい曼荼羅でまとめられていたんですよね。

平井:そうした経緯で七沢先生を知ることになったんですね。

石原:そういう内側の東洋的なものと、今の資本主義的なものを、これほど綺麗に融合できる人がいるんだと思い感動しました。
仕事でも、講演をしていただいていたのですが、最初は講演の内容がほぼ理解できなかったんです。
当時、「船井幸雄オープンワールド」という2日で14,000人くらい集まるような大きなイベントがありまして、そこに七沢代表も招へいされていたんです。
私が、たまたまその時の運営責任者になっていたので、お話しを聞いたんです。
会場はもう満員でして、立ち見も出ていたんですけども、ただ話している内容は、まだ理解できませんでしたね。

平井:さすがの石原さんでも、1回では七沢先生のお話を理解できませんでしたか。

石原:でも、お人柄といいますか、すごく素敵な感じがして、何回か七沢研究所に通っていまして、難しいところは難しいんですけども、分かる分からないは別として、「実がある」と言いますか。
なにか揺るがないもの、飾らないところを感じていました。
当に人のこと、そして国のこと、さらには世界のことを考えてるってことがとても伝わってきて、素晴らしいなと思ったんですよね。

平井:そのような出逢いがあったんですね。
それからどのように関わっていくようになったのでしょうか?

石原:当時は「みえます」や「エクレル」のような学びの体系は全くなくて。
今は白川学館もありますけれども。
ただ、代表がおっしゃった「白川の基礎であり極意は、祓いに始まり祓いに終わる」っていう、その一言だけが凄く心に残って日頃の業務の中でずっとそれを、何かにつけて思い出したり、心の中でつぶやいたりしていました。

平井:なるほど。

石原:するとある時、仕事で厄介なクレームを抱えて、自分のチームの部下がクレームをいただいて、それがなかなか面倒だったんですよ。
そのとき急に「祓いに始まり・・・」っていうフレーズが心の中にバッと甦ってきて、胸のむしゃくしゃしたところとか、モヤモヤしたのがきれいにサッと祓われたんですよね。
体感的にもすっきりするし、思考が凄いクリアになる感じがして。
そしたら、クレームを言っていた方から謝ってきたんです。
特に具体的なことやってないのに「一度話しましょう」ということでアポをとって、料亭で会うことになったんです。
なぜか、もうその前から凄く友好的になっていて、ただ和やかに一緒に食事して終わったということがありました。

平井:衝撃的な体験ですね!

石原:そのときの現実がパッと変わったのも気持ちよかったですし、あと自分の内側が体の感覚も含めてすっきりするというか、そのすっきり感と爽快感が凄く印象に残ったんですよね。
そんなのがありまして、船井グループに10年いましたが、そこからのご縁でこちら(netenグループ)にきたっていう、そんな流れですね。

そこで、やっと色んな謎が解けた感じがすごくありました。
とにかく日常の中で無理せずに、苦行せずに、深い意識に入れる体験をできるのが、鎮魂・祓い・言霊や「とほかみえみため」という世界なんですね。

七沢先生との詳しいエピソードと、石原さんが注力している取り組みについては後編で!
後編は11月13日(金)公開予定です!どうぞお楽しみに!


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