正しい人は常に戦争を起こす

内容


こんにちは!
エクレル講師の大島です。

人は無意識に、

善か?悪か?
正しいか?間違っているか?

をジャッジしながら
生きています。

そして、
多くの人は

正しく生きたいと
思っています。

もちろんそれ自体は
悪いことでは
無いと思いますが、

でも

そもそも
『 正しさ 』って
何なのでしょうか?

芸能人の
スキャンダルや失言に
過剰に反応し

テレビ局に
『 あいつを出すな!』
とクレームを入れる人も

自分と考え方の違うブログを
攻撃して炎上させる人も、

その背景には、
『 正しさ 』があります。

今のご時世に

自粛しないで
旅行にでも行こうものなら

車に傷を付けられたり
袋叩きに合いそうな勢いですが、

そんな
明らかな犯罪行為ですら

『 正しさ 』が
前提になっています。

『 正しさ 』が暴力を生み
戦争を生みます。

『 正しい 』

という言葉は、

世界の半分を
敵にまわす呪文です。

自分が『 正しい 』と決めた瞬間、

反対意見の人を
間違っていると断定している
わけですから。

そして、
自分が正義だと
大義名分を背負った時から、

人は
横暴な事を平気でやるように
なるのです。

あらゆる戦争は、
当事者にとっては

正当防衛なのです。

原爆を落として
罪のない人を大量殺戮するのも

人種が違うというだけで
幼い子供をガス室送りにすることも。

殺人と暴力の限りを
尽くしていたアル・カポネが

死刑が決まった瞬間、

『 俺は世の中のために
働いて来たのに

なんでこんな仕打ちを
受けるんだ!』

と恨み言を言ったという話は
有名ですよね。

ですから僕は昔から、

『 正しい人 』

とは付き合わないと
決めています(笑)

『 正しい人 』
ばかりだと

世の中は
どんどん殺伐として
しまいます。

善悪をジャッジしたくなる
自分に気づいたら、

『 とほかみえみため 』
と唱えながら

心をスーッと落ち着けて

時には
白黒つけないで

漂わせておくのも
よいのではないでしょうか?

本当は
個人のちっぽけな価値観だけで

何が正しいのかなんて、

簡単に決められるわけが
ないのですから。

ABOUT US

幼少の頃から、「自分とは何か?」という問いに導かれ、瞑想、思索を重ねる。
クンダリーニの覚醒、幽体離脱、宇宙意識の体現など様々な神秘体験を経て、1998年、臨死体験を通して神の視点を獲得したことにより生まれ変わりを体験する。
長者番付日本一の斎藤一人氏の元で経営を学び精神的な豊かさと経済的な豊かさの両輪を確立。関連3000店舗のトップランカー常連となる。
その後ロゴストロンと出会いデジタルによる現実創造のエキスパートとして活躍。
1年半で事業所得以外の臨時収入1億円越えを達成し、いつしかロゴストロン長者と呼ばれる。
現在様々なセミナーを通じて、日本全国でその叡智を分け合っている。

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55 件のコメント

  • 正しい人は
    常に戦争を起こす

    言い得て妙
    私はこれにあてはまる

    「私が正しい!」

    幾重にも隊列を組んで
    迷うことなく突き進む

    それが『囚われ』と気づくまで
    とほかみえみため

    終わらせるのは
    誰でも無くて自分

    分かるまで

    とほかみえみため

  • 正しさは正当性や真実も含みます。正しさにも各種のレベルが存在し、民衆を取り込んだレベルが戦争と繋がることもあると思います。
    が、個的正しさで戦争につながるのは、狂気であり、その状態は、正しさとは言えないのではと考えます。
    又、社会が正当性を失えば、混乱を生じて不穏の社会を誘導するとも考えられます。
    「とほかみえみため」は、どの様な究極の世界を作る上げるのでしょうか。

  • 正しい人 が 戦争を起こす
    とても考えさせられました。

    正しさ とは?本当ちっぽけな価値観で
    決めれる事じゃないなと気づかされます。

    白黒つけるのではなく
    とほかみえみため を唱えます。
    ありがとうございます。

  • まさに おっしゃるどおり ジャッジし 罰する神 は人の造った神 自分自身の弱さ そのものなんですネ!

  • まさにちょうどジャッジしないことを決心したところでした。価値観なんていらない。相手を正そうという行為もいらない。自分のやり方への執着もいらない。

    全部手放して、ふわっと軽くなったら、本当の意味で自由になれるのかなと思います。

  • 私もかねてから正義を口にする者はろくなやつではないと思っています。しかし正義という大義名分が時として必要なのも人間というものでしょう。悩ましい現実です。特に私の場合我が家の宗旨が日蓮正宗なのであそこは特にそういう傾向が強いのです。私は信仰してはいませんが。netenの技術には正しい目的でなければ使用できない ということはないのでしょうか。

  • 何時もありがとうございます。正しいか正しくないのかは、本来誰が判断するのでしょう。それはおっしゃっていますように個人のビリーフなのでしょう。私は正しいという事柄はこじつけのように思います。自分を正当化するためにの方便。誰かが作り上げたルールをそれが正しいと摺り込まれたものですよね。人を害することが正しいと教えられたら、その道を貫いて行くことになります。心穏やかにする言葉「とほかみえみため」を唱え、余計な思考を中断しようと思います。

  • こんにちは。
    正義感の暴走ですね。大きな出来事ですと気づき易いのですが、一言二言の些細な時の中にもそうした種は十分にあると感じます。
    殊に世の中がヒステリックになっている今は、我が身としても大島さんのメッセージを受け留めたいと思いました。鎮魂の意味深く、日常会話を通してお互いを鎮め合えると思っております。私なりに前向きな環境つくりに役立てたいと思います。これでしたら事を荒立てず普通に振る舞いながら働かせていただける気がいたします。そんな事を思いながら読ませていただきました。ありがとうございました。今後とも宜しくお願いいたします。

  • とほかみえみためを唱えながら、
    白黒つけずに漂わせておく

    確かに!
    白黒つけようとするから争いがおこる。

    自分が正しくて
    誰それがいうことは間違っている

    そういう風に思ってしまう場面は今までも多々あったような気がします。

    そして、モヤモヤとして不要なエネルギーを消耗していたように
    思います。

    とほかみえみためを唱えて漂わせる
    いいですね~

  • わたしは、少し違います。曖昧さを残していることが悪いとは思いません。何が正しくて、何が間違いなのかその基準は常日頃の自分を基準にすることから始まるのではないでしょうか?わたしは学歴が高いわけでもありませんから大きな事は言えないのですが、私は、人間という体を有する部分ともう1つの魂というか、霊というかはさておき、私たち人間に命を与えているエネルギー其れも意思あるエネルギー体といういうもの、本来の自分自身が何処まで統合されているかという観点を大切にしております。一般的生身での善悪は、肉体的には栄養、環境等好き嫌いの嗜好的なものや、損得から来るものもあるでしょうし、この肉体それ自身、二項対立性を含んでいるのでそれから来る善悪もあるでしょう。肉体を持つ以上肉体の使用法をより良い状態にするためにはルールが必要です。その基本的ルールがなく勝手にそれぞれが動くと、衝突が起きるのは当然です。ルールと言う意味の正、邪の基準があって当然かと思います。ルールは、その時々の状況情勢により、変わるもので、絶対的正はありません。しかしながら、肉体を離れた部分の本当の生を生み出している意思あるエネルギー(私は、宇宙創成神といままではおもっていましたが)、内なる真の自分に対して、神に対して、恥ずべきものかどうかを問う様にしております。私が何処まで五階層を身につけているかどうかは分かりませんが、七沢先生のおっしゃることはすーっと染みわたり、それぞれの階層を自由にいききして、五魂を発現させられれば良いかと思います。肉体を否定しては、この先の銀河系を否定することにつながるので、肉体レベルは肉体レベルでの運用をしていいのではないでしょうか?正邪も、善悪もあってよしの柔軟性が必要と言われる事は、最もだと思います。柔軟性と、曖昧さはイコールではないと思います。